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賀川豊彦記念 松沢資料館の学芸員による雑記帳です。仕事上の出来語や、最新のイベント情報などを掲載します。(個人的な見解であり、資料館としての公式な見解ではありません。)
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今朝出勤すると、昨日とある方より資料寄贈の申し出があったとメモがあった。失礼があってはならないと、早速連絡を入れたところ先方は、私もかすかに記憶に触れるかどうかの人名を述べて、その資料を寄贈したいとの旨であった。

とにかく近代資料の散逸への危惧感、特に基督教界、教会での貴重な資料がいまや、瀕死あるいは絶望的な廃棄期を迎えている現状を知るものとして、あいまいな返事などできず、早速お見せ頂きたいと申し上げた。するとすぐ近くにお住まいとのことで、昼前には資料を携えてご来館下さった。

ススのような埃にまみれ、半世紀以上の経過は判然の資料束を紙袋に下げて来られたのは、年配のご婦人であった。お聞かせ頂くと、この方はなんと、百姓哲学で名をはせた、江渡狄嶺(えどてきれい)のご令嬢様(二女様)であった。



 


江渡狄嶺は1880年に青森で生まれ、青年期に平民主義の影響を受けて、聖書、トルストイ、クロポトキンに共鳴した。第二高から1901年、東大法 学部に入学するも中退。内村鑑三、清沢満之らを知る。千歳村(現在の世田谷区、徳富蘆花の居住で有名)に、「百姓愛道場」としょうした農場をつくり、個と 全体とが一つとなる場を、農業共同体に実現しようとした人物である。1944没。

この名は徳富蘆花研究者から何度か聞いたこともあり、「賀川さんとも関係が深かったでしょう?」といわれきた。恥ずかしながら、それほど深く研究は してこなかったのだが、まさかその親族の方が、来られるとは思いもよらなかった。しかし持ってこられたのは、江渡狄嶺の資料ではなく、吉田清太郎のもので あった。(江渡狄嶺文庫なるところへ狄嶺資料は移管されているとか。)

吉田清太郎は、1863年松山に生まれ、松山中学に学ぶ。後に同志社に入学しリバイバル(ここでは聖霊的体験という意味であろう、賀川豊彦も豊橋の 路傍伝道中に倒れて瀕死になった際に体験した。)を体験する。廃娼運動、監獄伝道、松山女学校(松山東雲学園の前身)設立した二宮邦二郎を支援する。 1902年からは政界指導者らへの伝道を挙行。1903年には、伊藤博文、大隈重信、松方正義らと面会。桂内閣には、クロポトキンの「戦術論」を読んで、 意見書を出したとか。しかし1910年の日韓併合は日本の自殺行為として、政界へのアプローチを断念。朝鮮独立を請願して留置されたこともある。なんと いっても特筆されることは、山室軍平を育てた人物であった。生前は賀川が主宰した「イエスの友会」の顧問もしているので、賀川とのつながりは当然あった。 生涯千駄木教会の牧師、救世軍の一兵士であり、江渡狄嶺に洗礼を授けている。YMCAの石田友治との親交もあり、石田の「兄弟愛運動誌」に論文を掲載をす る。1950没。(「日本キリスト教歴史大事典」教文館ほか)

狄嶺の二女氏によれば、吉田清太郎は畏友山室軍平が同支社で学び続けるために、学資をねん出し清貧というよりは赤貧という惨状だったそうである。特に象徴的なのは、池に落ちて絶命した猫を食してまで山室に学費を送った話は、同志社では有名な話であるそうだ。(故竹中正夫氏-「吉田清太郎没後30年誌」帯文)

江渡狄嶺は、「師と呼べるのは吉田清太郎」といったそうである。狄嶺は老齢と病とに侵された吉田清次郎を自宅に引き取っている。夫人は狄嶺に先立たれるのであるが、週に一回は横臥したままの吉田清太郎の体を懸命に拭きながらお世話をし続けたそうである。


そのようなドラマが凝縮された資料が、また松沢にやってきた。近代史上稀有な人物たちに接する道筋が、今日も新たに開かれたのである。
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吉田先生の直筆を持っています、
ゅぅ 2010/10/14(Thu)16:22:22 編集
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プロフィール
HN:
賀川資料館 学芸員 杉浦秀典
年齢:
59
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男性
誕生日:
1964/10/06
職業:
博物館学芸員
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