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賀川豊彦記念 松沢資料館の学芸員による雑記帳です。仕事上の出来語や、最新のイベント情報などを掲載します。 (主観的な情報も含まれますので、館としての公式見解でないものであることをあらかじめご了承下さい。)
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関東大震災で焼けた東京YMCA

連休とはいえ、小生は変わらず資料館詰めの毎日である。東日本大震災から来週で二カ月を迎えようとしている。まだまだ原発事故は予断を許さないが、すでに東北各地では復興が徐々に進んでおり、明るい話題も聞かれるようになった。

ここにきて振り返ると、以前雑芸員は、東大YMCAよりお招きを受けて、関東大震災と賀川豊彦という講演をさせて頂いたことがあったことを思いだした。その時お話した内容を、せっかくなので紹介してみたい。


賀川豊彦と関東大震災

1923年9月1日、神奈川県相模湾北西沖80キロを震源として発生したマグニチュード7.9の海溝型の大地震が発生しました。東京、神奈川、千葉、静岡などの南関東地方の広い範囲に甚大に被害をもたらせ、死者行方不明者が10万5千人、全壊した住宅が11万、半壊10万、消失した家屋が21万に上ると記録されています(参照理科年表)。

近代化を迎えた日本が直面した、未曾有の災害に、日本中が震撼しました。この知らせはようやく翌日になってから、関西で活躍していた賀川豊彦の耳にも入ります。その日は日曜日でしたから、礼拝の終わるやいなや神戸のキリスト教関係者へすぐさま連絡をはかり、協議ののち自らも被災地へと向けて出発いたします。

午後6時出発の山城丸に乗り、翌3日に横浜に到着、4日に上陸を果たし、徒歩と一部汽車を使って品川まで行きます。流言被害を被った朝鮮の青年を自宅にかくまっていた、旧友中山昌樹の家で泊まり、5日には東京の災害救援事務所を訪れます。そこで、救援物資の状況を聞き、米は十分あるが、資金と衣類などが必要との情報を仕入れました。

                                                                                    b2f41e9d.jpg










災害救援に向かった賀川豊彦(中央)左 末広厳太郎 右 石田友治

そして、神田美土代町の東京YMCAを訪れ、焼け残った石段の前で、大声で賛美歌を歌っていた盟友石田友治と再開します。瓦礫の中で、ともに座して「東京を再興したまえ」と祈りました。しかしそれは、ただの空しい神頼みの言葉ではありませんでした。 灰燼の中で導かれるかのように再開した賀川と石田、仲間たちは、現状の情報交換をし、眼前の人々の救済についての打ち合わせをすぐにはじめたのでした。

石田とは、大正12年3月に東京YMCA講堂で賀川が提唱した「復活共済組合」に賛同して以来、昭和17年に召天するまで約20年間、いろいろなこともあったようですが、盟友として共に医療組合設立など数々の活動を行った仲でした。

その後彼らは上野へと足を向けます。これは、上野公園で始まっていたミルク配給所の様子を見に訪れたのでした。数人の奉仕する青年らが、新しい荷車にコンデンスミルクとバケツを載せて引いていく姿を見て、賀川は喜びます。当時の若者のボランティア活動がそこにはありました。

そして小高い丘から帝都東京を見渡したのですが、そのあまりの惨状に、賀川は茫然自失となりました。まだ火はくすぶり続けており、東京の焼け野原を前にして、立ち尽くしたのです。この時賀川は、2万4千坪の敷地に3万8千人が焼け死んだといわれる、陸軍被服廠跡地を訪れてはいませんでした。

その後すぐに、6日朝、品川から汽車と徒歩で横浜へ戻り、材木船東華丸に好意で乗せてもらって、清水港までゆき、そこから汽車で神戸へ帰ります。戻ってみると、二日間は眠れなかったそうでした。戻るまでは必死であって、とても感情の浮かぶ間もなく、東京・横浜を歩いたことがまるで夢心地であり、神戸に戻った安堵感の後、ようやく賀川は現実を味わうのです。

親しい友人の死、また数十万の人々の死と壊滅的な東京の現実に、じっとしておられなくなるのです。そのときの彼の心境は、「東京横浜が癒されるまで私は半狂乱である」と激しく述べられてております。

必死になって被災地の視察と、その後の救援の打ち合わせを果たした賀川は、戻った神戸で初めてこみ上げてくる悲惨な光景と痛恨の想いなどの複雑な心理に向き合ったのでした。しかし賀川は、そのエネルギーを、その後救援活動へと向かわせてゆくのです…





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当館で運用している、データベースのシステムを契約している、早稲田システム開発㈱さんのHPに、小生のインタビュー記事が掲載された。はずかしながらも(臆面もなく…)ご紹介したい。
よろしければ下記までどうぞ。
http://www.waseda.co.jp/voice/interview/detail/71
早いものでもう師走、月並みながらも振り返ると、今年も様々なことが思い起こされる。とはいえ一年間の記憶に浸れるほど、小生のメモリーは高いスペックではないし、そんなことを許してくれる時節でもないので、ここ数日のことだけ振り返ってみると、まったく相変わらずめまぐるしいとの感想だ。

昨日は貴重な休みを頂いたが、朝早くより世界連邦で携わっている、国際連帯税の会合が開催され、一日そのボランティアであった。早朝から車を滑らせ、麹町スタジオまで。業界人ではよく知られたスタジオで、永田町のすぐ隣ということもあってか、政見放送の収録もしばしば行われると聞いているが、そこでUSTREAMの後藤氏と待ち合わせし、高価な機材を搭載して現地へと向かう。赤坂ガーデンシティという豪奢な建もので、その中階に入居している、ベクトン&ディッキンソン社のホールを会場にシンポジウムは開催された。その時の模様は、下記にアップされているので、是非一度ご覧頂きたい。

■第1

 

1部前半

http://www.ustream.tv/recorded/11442488

 

1部後半

http://www.ustream.tv/recorded/11443308

 

■第2

 

2部前半

http://www.ustream.tv/recorded/11443966

 

2部後半

http://www.ustream.tv/recorded/11444549

 


世界規模の課題に、今や市民一人一人が意識的に取り組まねばならない時代に突入していることが、これらのNGOの活動に携わっていると本当によくわかる。もちろん手弁当で休みを費やし、年間で考えれば相当多くの時間と労力を捧げなければならないのであるが、先進国ではそういったボランティアをもうひとつの「労働」として位置づけて、周囲も社会も認知して推進してくれているそうである。「新しい公共」という概念がうち出され、こういったNGO,NPOなどのセクターが、行政、企業、市民らとともに新たな活躍を期待されているのは、ご存知のところであろう。そういう面ではだいぶ日本も変わってきていると思うが、まだ欧米並みの意識には届いていないのかもしれない。もっと多くの市民が、こういった、「金にならない」「得にならない」ことを、あえて喜びをもって取り組んで頂けるような社会になって頂けたらと、僭越ながら期待してやまないのである。
ブログ、”Think Kagawa”を開設している伴氏の最新の書き込みで、「キリストの栄光教会」が紹介されていた。実は、この教会の牧師、K師は、綾部出身の方である。昔、小生は説教を学ぶ機会があり、そのほか、公私ともに大変お世話になった先生である。ご謙遜な方であるが、実は東大文学部で哲学を専攻され、キルケゴールのご研究を修められたと聞いている。巡り巡って、綾部市の世界連邦のことを掲載して下さっておられたと知って、誠に不思議な思いである。久しぶりにお名前を拝見したが、これが賀川関係者の手で紹介されたことにも大変驚き、世界は「環」的な様相をしているのだなあ、とつくづく思う秋の夜である。尚、キリストの栄光教会は、東村山市にある。取り急ぎ(雑)

http://d.hatena.ne.jp/kagawa100/20101006/1287278261
昨日、新たに記念礼拝堂に椅子と机とを購入し、その搬入と設置などで一日とられてしまった。約001.JPG60人が座りノートをとることが可能となる。これまで、社会福祉法人の研修では、長時間の座位が続く内容が多く、旧松沢教会礼拝堂備え付けの木製の折りたたみ椅子ではすこぶる評判がわるく、ようやく現代的な備品になったのである。
(写真はテーブルを入れた研修モードの状態。普段は椅子のみである)

とはいえ、その旧松沢教会礼拝堂で使用されていた木製折りたたみ椅子も、大変味わいがあり、なんといっても当時の賀川豊彦らが使用していたものであるから、即座に廃棄ということはしていない。一部、破損して修復不可能なもの数点は廃棄するが、多くは保管しておくことにしている。伝え聞いている話では、松沢教会より以前、秋田の某銀行が使用していたものを払い下げてもらったという。松沢教会が1931(昭和6)年に建立されているから、それだけでも80年は経過しており、まして払下げとなれば、もっと旧いものであろうから、100年は越えているのではないだろうか。椅子の歴史を調べているかたや、椅子の博物館などがあれば、もしかしたら、参考になる品物かもしれない。
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これまでエキシビジョンの一つとして堂内においてきたが、研修や集会が増えてきたので、止むなく、数点を展示して後は写真のように、最新の人間工学に基づいた、長時間座り続けても苦にならない椅子を導入した。

ご見学の方には、少々寂しいかもしれないが、数点はこれまで通り展示してあるので、ご覧頂き、実際に腰掛けても頂ける。当時の雰囲気を実体験できる数少ない展示品である。同時に、新たに導入した椅子により、長時間の研修、映画会、その他集会が快適になったので、さらに利用の機会が増えて頂けたらと願っている。

010.JPG左の写真は礼拝堂後部に掛けられている時計である、”SEIKOSHA”と書かれている。裏書によれば、松沢教会の会堂建設を祝って、イエスの友会より寄贈された記念品であったようだ。収蔵庫にしまわれていたが、当時を偲ぶ資料なので、小生が9年ほど前より、安全対策(ワイヤー)を施してから展示した。ちなみに、時計としては動いていない。しかしこれもまた、貴重な資料であり、文化財の一つであろう。

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プロフィール
HN:
賀川資料館 学芸員 杉浦秀典
年齢:
52
性別:
男性
誕生日:
1964/10/06
職業:
博物館学芸員
趣味:
資料整理、バイク
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