忍者ブログ
賀川豊彦記念 松沢資料館の学芸員による雑記帳です。仕事上の出来語や、最新のイベント情報などを掲載します。 (主観的な情報も含まれますので、館としての公式見解でないものであることをあらかじめご了承下さい。)
[161]  [160]  [159]  [158]  [157]  [156]  [155]  [154]  [153]  [152]  [151
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


関東大震災で焼けた東京YMCA

連休とはいえ、小生は変わらず資料館詰めの毎日である。東日本大震災から来週で二カ月を迎えようとしている。まだまだ原発事故は予断を許さないが、すでに東北各地では復興が徐々に進んでおり、明るい話題も聞かれるようになった。

ここにきて振り返ると、以前雑芸員は、東大YMCAよりお招きを受けて、関東大震災と賀川豊彦という講演をさせて頂いたことがあったことを思いだした。その時お話した内容を、せっかくなので紹介してみたい。


賀川豊彦と関東大震災

1923年9月1日、神奈川県相模湾北西沖80キロを震源として発生したマグニチュード7.9の海溝型の大地震が発生しました。東京、神奈川、千葉、静岡などの南関東地方の広い範囲に甚大に被害をもたらせ、死者行方不明者が10万5千人、全壊した住宅が11万、半壊10万、消失した家屋が21万に上ると記録されています(参照理科年表)。

近代化を迎えた日本が直面した、未曾有の災害に、日本中が震撼しました。この知らせはようやく翌日になってから、関西で活躍していた賀川豊彦の耳にも入ります。その日は日曜日でしたから、礼拝の終わるやいなや神戸のキリスト教関係者へすぐさま連絡をはかり、協議ののち自らも被災地へと向けて出発いたします。

午後6時出発の山城丸に乗り、翌3日に横浜に到着、4日に上陸を果たし、徒歩と一部汽車を使って品川まで行きます。流言被害を被った朝鮮の青年を自宅にかくまっていた、旧友中山昌樹の家で泊まり、5日には東京の災害救援事務所を訪れます。そこで、救援物資の状況を聞き、米は十分あるが、資金と衣類などが必要との情報を仕入れました。

                                                                                    b2f41e9d.jpg










災害救援に向かった賀川豊彦(中央)左 末広厳太郎 右 石田友治

そして、神田美土代町の東京YMCAを訪れ、焼け残った石段の前で、大声で賛美歌を歌っていた盟友石田友治と再開します。瓦礫の中で、ともに座して「東京を再興したまえ」と祈りました。しかしそれは、ただの空しい神頼みの言葉ではありませんでした。 灰燼の中で導かれるかのように再開した賀川と石田、仲間たちは、現状の情報交換をし、眼前の人々の救済についての打ち合わせをすぐにはじめたのでした。

石田とは、大正12年3月に東京YMCA講堂で賀川が提唱した「復活共済組合」に賛同して以来、昭和17年に召天するまで約20年間、いろいろなこともあったようですが、盟友として共に医療組合設立など数々の活動を行った仲でした。

その後彼らは上野へと足を向けます。これは、上野公園で始まっていたミルク配給所の様子を見に訪れたのでした。数人の奉仕する青年らが、新しい荷車にコンデンスミルクとバケツを載せて引いていく姿を見て、賀川は喜びます。当時の若者のボランティア活動がそこにはありました。

そして小高い丘から帝都東京を見渡したのですが、そのあまりの惨状に、賀川は茫然自失となりました。まだ火はくすぶり続けており、東京の焼け野原を前にして、立ち尽くしたのです。この時賀川は、2万4千坪の敷地に3万8千人が焼け死んだといわれる、陸軍被服廠跡地を訪れてはいませんでした。

その後すぐに、6日朝、品川から汽車と徒歩で横浜へ戻り、材木船東華丸に好意で乗せてもらって、清水港までゆき、そこから汽車で神戸へ帰ります。戻ってみると、二日間は眠れなかったそうでした。戻るまでは必死であって、とても感情の浮かぶ間もなく、東京・横浜を歩いたことがまるで夢心地であり、神戸に戻った安堵感の後、ようやく賀川は現実を味わうのです。

親しい友人の死、また数十万の人々の死と壊滅的な東京の現実に、じっとしておられなくなるのです。そのときの彼の心境は、「東京横浜が癒されるまで私は半狂乱である」と激しく述べられてております。

必死になって被災地の視察と、その後の救援の打ち合わせを果たした賀川は、戻った神戸で初めてこみ上げてくる悲惨な光景と痛恨の想いなどの複雑な心理に向き合ったのでした。しかし賀川は、そのエネルギーを、その後救援活動へと向かわせてゆくのです…





PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
富士市の公園で紫陽花と子供達が空に舞い上がる
靜岡県富士市の公園の1つの岩本山公園へドライブで行き、富士山は曇り空で見えなかっ
URL 2011/06/18(Sat)03:56:15
カレンダー
03 2017/04 05
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
フリーエリア
最新コメント
[05/17 Backlinks]
[02/28 雑芸員]
[02/27 荻田(長尾)香世子]
[08/31 N. F]
[11/19 雑芸員]
プロフィール
HN:
賀川資料館 学芸員 杉浦秀典
年齢:
52
性別:
男性
誕生日:
1964/10/06
職業:
博物館学芸員
趣味:
資料整理、バイク
バーコード
ブログ内検索
Copyright © 賀川資料館の雑記帳 All Rights Reserved.
Designed by 10p
Powered by Ninja Blog

忍者ブログ [PR]