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賀川豊彦記念 松沢資料館の学芸員による雑記帳です。仕事上の出来語や、最新のイベント情報などを掲載します。 (主観的な情報も含まれますので、館としての公式見解でないものであることをあらかじめご了承下さい。)
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世田谷区にある、世田谷パブリックシアターのご関係者の方が、先週団体様で見学に来られた。これは、賀川の開いたお隣松沢教会の教会員として長くご活躍された、岡チトセ(故人)さんというかたの生きざまを、地域に関係した人物を取り上げた演劇作品化(「地域の物語ワークショップ」)するとのことであった。そのために現在、制作のための資料や証言などを集めておられるとのことである。

岡さんなる方は、先駆的なキャリアウーマンであり、官僚として勤務しながらも、教会員の御家族へ英語を教えたり、地域への奉仕などをいろいろされていたようである。それゆえ、いま残された御自宅は、地域のコミュニティのために開放されているようである。賀川豊彦に影響を受け、そして地域の人々に愛された一人の人間である。作品化が待ち遠しい。

(ご参考までに下記をご覧下さい)

http://www.city.setagaya.tokyo.jp/040/d00008349.html
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先々週、中国上海の復旦大学の大学院生の方がこられて、資料を探してゆかれた。学部時代は米国アイビーリーグで人類学を修められた方であったが、大学院は母国中国での日中キリスト教の近代史、特に賀川豊彦について研究をされるとのことであった。流暢な日本語であり、三ケ国語を使いこなせる非凡さは、将来が楽しみな方である。昨年、シルジェンの中国語版が出たこともあり、韓国に続いて今後は中国での賀川研究の発展が望まれる。

その翌週には、同じく上海に留学中の日本人学生が訪問された。奇しくも近代史で賀川と中国の関係を研究されるとのことである。しかしこの方は、先の中国の方とは全く別に研究を進めておられた。同じ時期にお二人も、しかも同じ上海から… 目に見えない不思議な同時共調性ともいうような印象を覚えた。やはり時代が、賀川を要望しているのだろうか?他にも似たようなシンクロが起きているのかもしれない。

今後お二人の成果を楽しみにしつつも、さらに様々な角度からアジアにおける賀川研究が進んでいって頂きたいと願っている。
昨日三島まで行き、とある研修会場で講演をしてきた。労働者福祉協議会の主催する福祉リーダーを養成する研修会であったが、光栄にも賀川豊彦についてお話し頂きたいと依頼され承った。

普段から各地で話している賀川豊彦の生涯をパワポで写しながら話して行ったのだが、聴講者は皆真剣に聴いてくれた。

小生の直前の講演者が、連合の元会長をつとめられた笹森清氏だったのだが、そこでは戦前の労働運動として講演中に数回も賀川のことが触れられていた。日協同盟や日生協また戦後の労働者福祉運動のあゆみなどでも、笹森氏は賀川を触れていて下さった。誠に光栄であり、感謝であった。

連合には、2009年の記念事業に当たって、実行委員会にお名前を入れて頂くためお訪ねしたことがあった。その頃は、高木剛会長がお忙しかったため、事務局長であられた古賀伸明氏(現連合会長)が変わってお話をお聞き下さり、その後実行委員会へ会長のお名前を入れさせて頂いた。生協、農協、共済、労金、労働組合そして労福協、草創期に賀川豊彦が関わった組織のかたがたと、21世紀においてもこうしてよき関係を続けて頂いていることには感謝が絶えない。

講演終了後は懇親会に出席し、22時発の新幹線でなんとか帰り着いたがすでに日付が変わっていた。しかしながら、スタッフ皆様との睦まじい交流の余韻に酔いながらの帰路につき、苦は感じなかった。

今後とも様々な交流が広がることを期待している。
1/23(土)に、東京大学総合研究博物館で開催された「ギャラリートーク&ディスカッション」に参加した。昨年11月の同館専修コースでのワークショップをそのまま展示して頂いている。当日は、資料蒐集者の元東京都学芸員・小田静夫氏から直接資料を入手した際の話を聞いた。これがなかなか面白く、引き込まれてしまった。なるほど資料をこよなく愛しておられるからこそ、語れるのであろう。振り返れば、自分も館内の展示を前にガイドを行っているが、小田先生ほどうまく語っているのだろうかと、ふと自分を知るのが怖く感じた。一般参加者からは展示方法に対して、厳しい意見を頂いたが勉強になった。

トーク終了後は、コース参加者達で担当教授の研究室へ押しかけ、茶をふるまわれる。尽きない笑いを分かち合い至福に浸る。短い期間ながらも、不思議なほど親近感が皆に湧く。夜遅くまでともに汗を流して制作した間がらならではのものだろう。

その後は懇親会へと流れるが、これまた話題も笑いも尽きない。同じ関心をもつから、専門的なことまで踏み込んだ話しができる。日ごろ一人仕事での引きこもり的収蔵庫作業の無言の嵐状態にくらべて、業界の話題を理解しあえる時間が持てた。

先日、かねてよりお世話になっている、渋沢栄一史料館の井上館長さんを表敬訪問させて頂いた。暮れに、アーキビスト・カフェの年末懇親の席で、訪問の意向をお伝えしたのだが、快くお迎えくださった。

当日は一緒に、世界連邦21世紀フォーラムの代表と同じく理事の方も来て下さった。21世紀フォーラムの代表は、11月の賀川シンポジウムでご活躍頂いた木戸寛孝氏で、同氏は明治維新の元勲の家系であり、ご先祖様が渋沢栄一と時代的に重なるせいか、会話は様々な盛り上がりを見せた。

また、もう一人の理事は、job web という企業を経営している佐藤考治氏である。地元王子ご出身で、ご実家の地下に劇場を作り、それ以来今や王子は演劇の街となっている。いわば火付け役の人物である。16日にはPHP新書から出版も予定されている。 http://koji.jobweb.jp/  ぜひお買い求め頂ければと願う。

渋沢栄一翁についてはあまり深く人物研究しては来なかったが、史料館を訪ねてあらためて驚きが多かった。日本の資本主義の基礎を形成した人物としては知っていたが、ただの立身出世した実業家というレベルの人物ではなかった。僭越ながら、利益だけを求める企業をではなく、『道徳と経済の合一』といった、思想と実践を貫徹した、まれにみる大人物としかいいようがない。

若き日には、高崎城のっとりまで計画した、攘夷、倒幕の志士だったようだが、投獄の憂き目から一転、一橋家に仕官し、その後明治期にはヨーロッパ視察後に、株式会社を学んできていた。

賀川が協同組合と社会事業の発展を広範囲に展開したように、渋沢翁は、社会事業と企業を世に発展させた功労者である。ある面、社会事業の発展のために、各種の会社を起こしたとも見られなくはないとのことである。

その懐の広さは測りがたく、キリスト者ではないが、聖路加病院の理事長やYMCAの理事をつとめ、また同志社の設立の際には、資金集めにも協力した。一橋家につかえたことから、商業のための大学作りとして、一橋大学を建て、また女子教育の必要から、日本女子大学の設立に寄与した。数え上げたらきりがないが、何といっても、創設した第一銀行から現在はみずほグループがその系譜であり、王子製紙、日本郵船、東京ガス、商工会議所、帝国ホテル、日本鋼管、札幌麦酒…その数500以上と聞く(列挙しきれなく申しわけないです)。

財閥という特定の集団が富を独占することを嫌いながらも、そうそうたる持続可能な企業をデザイン、創設した。かれの視座は、近代のみならず、現代の市民社会の確立にまで射程をもっていたかのような、破竹の産業興隆とそれに平行して社会事業整備を推進した。かれもまた人間、文化、文明、もろもろの社会のあるべき姿を構想した、グランドデザイナーの一人である。

話上、「なぜいま『坂の上の雲』なのか。日清、日露ではなく、むしろ渋沢栄一をクローズアップする時代ではないか?」 などのところで意気投合した。

明治期の日本には、驚くべき人物が傑出している。混迷する現代、いまこそ学ぶべき人物であろう(もちろん賀川豊彦もだが)

御関心のある方は、ぜひごご訪問頂きたい!

HPはこちら   http://www.shibusawa.or.jp/



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プロフィール
HN:
賀川資料館 学芸員 杉浦秀典
年齢:
53
性別:
男性
誕生日:
1964/10/06
職業:
博物館学芸員
趣味:
資料整理、バイク
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