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賀川豊彦記念 松沢資料館の学芸員による雑記帳です。仕事上の出来語や、最新のイベント情報などを掲載します。(個人的な見解であり、資料館としての公式な見解ではありません。)
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(本所基督教産業青年会(IYMCA)


本所基督教産業青年会事業概況(大正13年1月) 
 〔名誉主事 賀川豊彦〕

宗教部(伝道、講義、天幕児童保育)
教育部(編物・裁縫・刺繍講習、英学院、図書室、文化講演)
調査部(人口調査)
社会事業部(職業紹介、無料人事法律相談、バラック経営、救済部-衣類、毛布、布団の提供)
無料診療所・児童健康相談所(診療、巡回看護師)
牛乳配給所(市社会局の委託による牛乳配給事業)
児童栄養食給与(市社会局の委託による栄養食配給)
体育部(児童の遊戯、体操の指導)
低利事業資金貸金(信用組合)
組合事業部(労働、消費)
其他の事業(無料宿泊所、巡回看護婦養成)


賀川は、困窮状況を突破する力を人々が備えてゆけるようにお助けすることが必要だ、と結論し、東京基督教青年会(YMCA)の支部として、本所基督教産業青年会(IYMCA)を10月19日に立ち上げます。

緊急の救出、安定化をはかる救援活動、そこから人々の心の傷と痛みを共に分かち合うために、セツルメント運動として、同じ地域に居住したのです。

やがて、コミュニティーが形成され、さまざまな生活の為の機関が生まれ、まちが回復してゆきます。賀川の震災復興支援活動は、長期にわたる展望を持った事業でありました。

神戸での事業が主に救貧的な救済事業であったのに対して、本所での事業は、産業労働者の生活再建、生活向上、地域復興に基礎付けられたものでした。人格的な陶冶を必要とするものであり、賀川はそのために、東京中を約一年間走りまわって各地で公演し、傷つき痛んだ人々の心を励まして回りました。

彼の呼びかけで設立した本所基督教産業青年会が地域支援のための本格的な活動をはじめます。そのために、冒頭の各種事業を行いました。体操の指導などは、とてもユニークなのではないでしょうか。東京YMCAの協力によります。

復興のためのこれら各種事業は、「罹災者諸君が、互助の力によって経済的独立を得る方法を講じる」とあるように、互助の力による経済独立を援助するものとして機能して行きました。

 

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(関東大震災の時の被災地の状況)

彼の救援活動は、一時期に救出、救援などの活動をした後、その地に住む人々衣食住の必要を応急手当を行い、さらに人々が自らの互助の力で、立ち上がるように援助をするのが特徴でした。助力を基本としているのです。

 その賀川が言っている言葉です。

「…一度に幾十万人の貧民を作った今日、隣人としての私たちは防貧に救貧にお助けしなければならないのである。殊に、お金でお助けすることができるものと、金でお助けのできないものとがあるから、私たちのように金のないものは、善き隣人としてお近づきになるより仕方がない。私の第一にしたい仕事は、セツルメントである。この冬を通じて罹災者の困苦を自ら体験し、バラックの苦悩を自らも一緒に味わい、それを科学的に調査して世間に訴えることである。つまり私は「眼」になりたいということであった。
 統計報告には「心」が書いてない。救貧運動の根本は心である。物質の欠乏により起こる心理反応である。悩みである。もだえである。そうした罹災者の悲しみを統計で現すことはできない。それはどうしてもセッツラーとして、テントや、バラックに住んでみなければわからない。」
(「地球を墳墓として」全集21巻)

とありましすように、これらの心情がかれの内面に流れていました。そして本所地域での目覚しい活躍へとつながるのであります。具体的には、彼の仲間たちの協力を得て、「本所基督教産業青年会」という団体の組織化が図られ、そこからさらに拡大発展して、江東消費組合、中ノ郷質庫信用組合、光の園保育学校ほか、へと結実してゆきました。その多くは、今日まで活動を持続しています。




 

2009年に神戸でご講演された、阿部志郎氏によれば、賀川の活動のプロセスは以下になります。

レスキュー rescue (救助)
リリーフ  relief  (救援活動)
リハビリ   rehabilitation  (社会復帰)→賀川は連日東京中で講演して復興を説いて、励ましていった)      
リコンストラクション  reconstruction (再建)→各種の地域事業を行った:江東消費組合、中ノ郷質庫信用組合ほか) → 諸事業を通したコミュニティ形成によるまちづくり・復興を行う。
 
(阿部志郎氏の講演より)

賀川は、レスキュー、リリーフ、リハビリ、リコンストラクションというプロセスを、セツルメント事業を通して継続的に行うことで、地域的な回復への助力としました。

このプロセスはどれも大切ですが、賀川の場合は、特にリリーフという救援という過程から本格的に関わりを持ちます。必要物質を届け、夜は看護婦たちと見回りをしたりしました。そこにいる人々に、その都度必要としているものはなにかを探り、それに柔軟に対応しつつ提供していったのです。

僭越ながら、私は個人的な見解として、あとひとつ「リフレクション reflection (省察、内省)」を加えたいと思います。賀川はそれぞれの局面でよく事実を観察し、具体的には、行政側の配給方法の非効率性や、各団体の活動の非統一性、バラックの分散化などの実態を把握し考察し、改善へとつなぐために、それらの情報素材をフィードバックしてゆきました。

 



( 左:大正13年 本所松倉町で始めた診療スタッフ
 右: 関東大震災救援に集まった人々



賀川の言葉を紹介しましょう。
「【…】私たちが少しでも塵ほどでも罹災者の苦しみを我らの背に負わせてもらうことが出来るなら、それほどうれしいことはないのである。それで、罹災者たちが、自ら自己の互助の力で立ち得るようにお助けすることが出来るなら、それも結構である。即ち組織(オーガナイズ)する仕事が私たちの仕事である。窮している人々の現状に触れてから何からお助けしてよいかを観ると共に、お金を出さなくとも、困窮している人々の自力でそれを突破し得る方法を考えて差し上げるのである。それが真に親切なセツルメント・ウォークである【…】」
(『地球を墳墓として』 全集21巻pp.301-302)

賀川は、オーガナイザーとしての手腕を発揮してゆきます。余談ですが、米国大統領のオバマ氏もかつて、貧困地域の改善のため、コミュニティ・オーガナイザーとしてNPO活動をしており、そこでの教会関係者との協働を通して信仰をもつようになったそうです。かつての賀川豊彦の活動と、現代のオバマ氏とには、共通するものがあるのです。




 

被災地で行われた天幕保育の様子

(後に「光の園保育学校」へと発展)


9/16,9/26の二回にわたって、賀川は自分のはじめた神戸の社会事業組織「イエス団」の若者に救援物資を東京に運ばせます。

被災直後の東京で賀川がすぐさま救援活動をしなかったのには理由がありました。それは、たずねたYMCAでの石田との打ち合わせで、東京のキリスト教関係者には、救援金が一文もないことを知らされていたからです。

そこで賀川は、神戸へと引き返して、そして義捐金を集めるために、40回にもおよぶ講演会を開き、入場料と寄付金を集めて、東京へ送金します。そのために彼は関西のみならず、四国九州まで駆け巡り、合計4-5千万を集めます。そして10月5日に再び神戸に戻り、7日には東京へと向かいます。あわただしい往復をしながら、少しづつ必要を満たしていったのです。

10月8日には、賀川は内務省と東京市を訪れますが、そこで冬に向かって衣類、布団の不足という情報を知らされます。そして賀川は、救済事業の現状を調査しようと思い立ちます。そして調べた結果、公的機関では布団の準備が十分用意されていないということを実地調査から確認します。

そこから防寒運動をしたいと願った賀川は、10月14日に再び神戸へ引き返し、16日には船で出発し17日には布団、下駄、窮乏する品を横浜に水揚げします。そしてこのときに、婦人矯風会外人部が運営していた、「興望館」跡地にバラックを建てて、そこを拠点にして事業を開始するのであります。これが現在の墨田区本所になります。

賀川の書いた『地球を墳墓として』(大正13年6月アテネ書院・全集21巻)のなかには、「私が本所でしたい仕事は、要するに神戸の仕事をそのままここへ持ってくることであった」(『地球を墳墓として』-焦土を彩色せんとして-)と書かれているように、神戸での防貧事業を、東京でも行うことを彼は目的にしていました。 神戸での数々の経験を生かした救援事業をかれは目指していたのです…

 

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プロフィール
HN:
賀川資料館 学芸員 杉浦秀典
年齢:
59
性別:
男性
誕生日:
1964/10/06
職業:
博物館学芸員
趣味:
資料整理、バイク
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