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賀川豊彦記念 松沢資料館の学芸員による雑記帳です。仕事上の出来語や、最新のイベント情報などを掲載します。 (主観的な情報も含まれますので、館としての公式見解でないものであることをあらかじめご了承下さい。)
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以下に紹介するのは、田中芳三氏が編集し出版した小冊子、『一杯の水―神に酔える長尾巻夫妻物語―賀川豊彦を巡る人々』に収録された、賀川豊彦晩年の講演録である。

この最後のところに、賀川自身が、世話になったのはアメリカ人宣教師だが、学んだのは長尾巻であると語り、しかも神戸のスラムへ身を投じたのは、長尾巻に学んだからであると書かれている。

もちろん、メソジストの創設者ジョン・ウエスレーや、『南アフリカ伝道探検旅行日誌』の伝道者・デビッド・リビングストンの影響を黒田四郎氏は伝えているが、賀川自身の口から、スラム入りは「長尾巻」から学んだ(1番感化を受けたとまで!)と語っていることは、賀川の原点を研究する際には大変重要なことであろう。

黒田四郎氏によれば、賀川は、伝道の精神をリビングストンから、そして伝道の方法をウェスレーから学んでいたと述べている(『私の賀川豊彦研究』キリスト新聞社1984年)。小生は、このあたりのことには興味が尽きないのだが、まずはご覧あれ。


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 『長 尾 巻 に 学 ぶ』                  賀 川  豊 彦
 
 『私はかつてオーストリヤのウィーンにあるベートーベンの家を訪ねたことがある。彼
は二階座敷を間借りしていた。偉人は必ずしも金殿玉楼から生れるものではない。間借りからも偉大なる芸術が生れる。
 私はまた貧乏伝道者、長尾巻に真に偉大なる優れた芸術を見出すものである。
彼はこの世的には何の富も、地位階級も、ない極めて貧しいただの一牧師にすぎなかっ
た。日本の牧師はみな貧乏だが、これほど貧乏な牧師を私は見たことがない。彼は貧乏を
享楽しているかのようであった。私は明治四十年、綬の伝道を助ける目的で豊橋に行った
ことから彼を知るようになり、肺病にかかっていた私は、一ケ年間、彼の家のぼろ二階に
寝かせてもらって親身も及ばぬ世話になった。
 彼の父は金沢藩の奉行で、中々の傑物であった。彼が感化を受けたのは宣教肺ウインよ
りも、むしろこの父であったと思う。
かのブラザーローレンスは田舎の修道院で掃除番をしていたが、長尾巻は正に日本のブ
ラザーローレンスである。日本人は何十年たっても、何百年たっても、長尾巻に多くを教
えられるに相違ない。
 長尾巻は、貧乏、迫害、キリスト道による苦難を、信仰によって武者修業をしたキリス
トの武士であった。
 その根気強い点でも、私は彼ほどの者を知らない。私は関東震災後、彼にすすめて名古屋でキリスト教各派連合の早天祈り会を開いてもらったことがあるが、その折り会を十年
間守り続けたのは彼只一人であった。八十才を越えても冬期火気を一さい用いなかった。
彼は還暦を迎えると、その記念にあごひげをのばした。それはまことに房々とした美し
いもので、さながらサンタクロースを思わせるものがあった。ところが、そのひげが毎日
二、三本づつ抜ける。彼はこんなものでも何かの役にたつであろう、と抜けたひげを大切
に蓄え始めた。そして十年の星霜を経て、彼が七十の年を迎えた時、蓄えたひげを数えて
見ると、八千六百三十三本、という夥しい数になっていた。彼はこのひげの用途を考えた
末、記念にひげ筆を造ることにきめた。
 筆屋さんも、狸や兎の毛の筆は造ったが、人間のひげの筆はいまだかって一度も造った
ことがないので、その毛を整理するだけでも余程骨が折れた、ということである。彼は、
これを“気根筆″と名づけ、子孫に残していられる。
 彼はまた、チョコレートやたばこを包んだ錫の箔を人々が捨ててしまうのを見て、「勿
体ない、これでも何かの役にたつであろう!」と言って集めていた。そしてそれで壺を造
り、「私が死んだら、この錫箔の壷に、私の骨を納めて下きい。」と言っていた。
 意の胴面には、
 “菓子包み、煙草つつんだわれわれは 愛する君の骨を包まん〟”
 との一首が浮彫されていた。童心そのままである。
 借仰生活四十九年の開聖日を数えると二千五百回、この二千五百回の聖日をただの一日
として守らなかった日はなかった。
 貧乏のどん底にいながら愚痴、不平を一度として彼の口から聞いたこともなければ、ま
た彼の怒った顔を見たこともない。
 何時も乞食を親切に泊めるので、彼の家には、蚤と蚤がわき、これをとったのを瓶詰め
にしてためてあった。
 私が今までに一番感化を受けた人物、それは長尾巻である。世話になったのと、学んだ
のとは違う。私が世話になったのは、アメリカの宜教師だが、学んだのは、長尾巻からで
ある。日本にこのような伝道者が出たことを神に感謝する。こんな人をこそ聖人と言う
のだ。〝神に酔える隠れた聖徒″ これは長尾巻に献げらるべき最も過当な称号であると
思う。
 私が神戸新川のスラム街に身を投じて、貧民伝道を思いたったのは、長尾巻に学んだか
らである。』
 
(一九五九、一、四、イエスの友冬期聖修会における講演大要)
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プロフィール
HN:
賀川資料館 学芸員 杉浦秀典
年齢:
52
性別:
男性
誕生日:
1964/10/06
職業:
博物館学芸員
趣味:
資料整理、バイク
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