賀川豊彦記念 松沢資料館の学芸員による雑記帳です。仕事上の出来語や、最新のイベント情報などを掲載します。(個人的な見解であり、資料館としての公式な見解ではありません。)
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ここのところ、相次いで賀川豊彦に関する記事が続いている。日曜日には、お孫さんの賀川督明氏の記事が出たが、すでに他のブログでも紹介され、話題騒然である。
さて、同じ日の朝日新聞の読書欄には、太田治子さんの記事が掲載されていた。これも何かのご縁であろう。
すでによく存知の方も多いかと思うが、かの太宰治のお嬢様である。実は、太田さんには過去に二度ほどご来館頂いている。その際には、お弟子さんをたくさんお連れになられ、館長がレクチャーの対応をさせて頂いた。質疑の時には、まだ「蟹工船」がブームになる以前であったが、その後のブームを先取りするかのように、小林多喜二と賀川との比較をご質問をされたのをよく覚えている。さすが大作家のお嬢様だと、鋭さを感じた。
今年1909は賀川献身100年記念であるが、同時に太宰治生誕100年でもある。それゆえ文芸界から演劇界まで、各方面で太宰の話題が尽きない。賀川と太宰が生前交わりがあったかどうかは不明であるが、奇しくもご子孫の代では、新聞紙上で同じ号に顔写真入りで記事が掲載されている。このことには、不思議な縁を感じぜずにはおられない。
その太田さんは、2007年にNHKラジオで「明治・大正・昭和のベストセラー」と題するラジオ講座をお持ちであった。その第七回がなんと賀川豊彦『死線を越えて』であった。『京王線上北沢駅近くに、賀川豊彦記念・松沢資料館があります。生前、彼の住んでいた家の跡に、記念館が建てられたのでした』という始まりで、資料館のことを書いてくれていたのだが、その紹介内容が大変面白い。実は明治学院のご出身であり、賀川とさらにご縁が深いのだが、「死線~」を”納豆のような粘っこさ”という表現で紹介をしておられるのである。写真のようにカルチャーアワーテキストとして出版されていたので、ご関心がある方は図書館などでご覧頂きたい。
さて、紙面によれば、督明氏は『周囲の豊彦の孫への期待感へ反発し』とあり、一方の太田さんも『太宰の作品と正面きって向き合うことからも逃げていた』とある。なんとも、二世三世とは大変な苦悩の末にようやくそれぞれの境地にお立ちになられるのだなとお察しした。それに比べ、例外もあるだろうが、多くの国会議員方はむしろ偉大な親の七光りに、さしたる葛藤も臆面もなく、「二世議員」や「世襲議員」などと嬉々として受け入れているように思えてしまうのだが、それは私だけであろうか…
太田さんのお母様太田静子さんは「道徳革命」と言い残し、督明氏の祖父の指導した生協運動は「静かなる革命」と映画「死線を越えて」のセリフで紹介されている。なんとも不思議な交差と符号を覚える紙面であった。
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すでに各方面で話題となっている、賀川豊彦が日本人最初のノーベル文学賞候補だった件であるが、その後毎日新聞社の記者の方より、ニュース・ソースについてご連絡があった。ご紹介したい。
上記を見て頂けば、画面を映したPDFを確認できる。ご参考までにサイトのURLをお知らせするので、ご関心がある方は、下記を直接操作して情報を入手して頂きたい。(推薦者がすごい人物のようだ!…)
http://nobelprize.org/nomination/literature/nomination.php?string=kagawa&action=simplesearch&submit.x=17&submit.y=6
尚、ノーベル平和賞については、54-56まで三年連続でノミネートされていることが今回判明したが、54年には推薦者が二人もいたようである。一人は片山哲(サイトのスペルは大きく間違っているが)である。また55-56は、なんとノルゥエーの複数の国会議員が推薦をしている。「賀川豊彦は、国内よりも海外でよく知られている。」という言説が編まれたのも、これで納得ができるだろう。詳細は下記サイトを直接操作してご確認いただきたい。
http://nobelprize.org/nomination/peace/nomination.php?string=kagawa&action=simplesearch&submit.x=16&submit.y=9
本当によくお調べになられたと、記者の方に心より感謝申し上げたい。さすが、スッパ抜きの毎日さんだと改めて、敬服するばかりである。
すでに各方面で話題となっている、賀川豊彦が日本人最初のノーベル文学賞候補だった件であるが、その後毎日新聞社の記者の方より、ニュース・ソースについてご連絡があった。ご紹介したい。
上記を見て頂けば、画面を映したPDFを確認できる。ご参考までにサイトのURLをお知らせするので、ご関心がある方は、下記を直接操作して情報を入手して頂きたい。(推薦者がすごい人物のようだ!…)
http://nobelprize.org/nomination/literature/nomination.php?string=kagawa&action=simplesearch&submit.x=17&submit.y=6
尚、ノーベル平和賞については、54-56まで三年連続でノミネートされていることが今回判明したが、54年には推薦者が二人もいたようである。一人は片山哲(サイトのスペルは大きく間違っているが)である。また55-56は、なんとノルゥエーの複数の国会議員が推薦をしている。「賀川豊彦は、国内よりも海外でよく知られている。」という言説が編まれたのも、これで納得ができるだろう。詳細は下記サイトを直接操作してご確認いただきたい。
http://nobelprize.org/nomination/peace/nomination.php?string=kagawa&action=simplesearch&submit.x=16&submit.y=9
本当によくお調べになられたと、記者の方に心より感謝申し上げたい。さすが、スッパ抜きの毎日さんだと改めて、敬服するばかりである。
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昨日、毎日新聞記者が突然来館され、館長と話がしたいと申された。どんな御用かと思いきや、なんと賀川豊彦はノーベル文学賞候補だったとおっしゃるのである。一目散に別室に行き、館長に電話連絡を入れ、そのまま記者の方に受話器に出て頂いた。経緯を詳しくお聞きし、翌日の朝刊に出ると知らされた。それが、9月13日(日)毎日朝刊のこの記事である。
以前、どこかで賀川はノーベル賞の平和賞と文学賞のノミネートに上がったことを誰かが記述していた文を読んだ記憶はあったが、確かめようもないことであり、おそらく間違いであろうという先入見から、それほど意識に留めることもなかった。しかし昨日の取材後に思い出した。
記事によれば、平和賞のノミネートも今回発表された過去の資料から公式に明らかにされたそうだが、こちらも54-56年までの三回だったことも明らかにされた。通説では、55年と60年という、二回候補にあがっていたとされていただけだ。
これからも、まだまだ新しい事実が掘り起こされるのではないだろうか。期待が湧く。
昨日、毎日新聞記者が突然来館され、館長と話がしたいと申された。どんな御用かと思いきや、なんと賀川豊彦はノーベル文学賞候補だったとおっしゃるのである。一目散に別室に行き、館長に電話連絡を入れ、そのまま記者の方に受話器に出て頂いた。経緯を詳しくお聞きし、翌日の朝刊に出ると知らされた。それが、9月13日(日)毎日朝刊のこの記事である。
以前、どこかで賀川はノーベル賞の平和賞と文学賞のノミネートに上がったことを誰かが記述していた文を読んだ記憶はあったが、確かめようもないことであり、おそらく間違いであろうという先入見から、それほど意識に留めることもなかった。しかし昨日の取材後に思い出した。
記事によれば、平和賞のノミネートも今回発表された過去の資料から公式に明らかにされたそうだが、こちらも54-56年までの三回だったことも明らかにされた。通説では、55年と60年という、二回候補にあがっていたとされていただけだ。
これからも、まだまだ新しい事実が掘り起こされるのではないだろうか。期待が湧く。
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(社)JIA(日本建築家協会)25年賞を、当館が受賞した。同賞は以下の趣旨による。
※本賞は、25以上に亘って「長く地域の環境に貢献し、風雪に耐え美しく維持され、社会に対して建築の意義を語りかけながら、過去の遺産に終わらずに、我々と同世代を生き続けてきた建築物」を表彰し、あわせて「その建築を美しく育て上げることに寄与した人々(建築家、施工者、建築主及び維持管理に携わった者)」を顕彰。多様化する価値基準の中で、建築が果たす役割をあらためて確認するとともに、文化としての建築のあり様、同時に次世代についながる建築物のあり方を、社会・市民に提示することを目的とする。
建築史に新たに刻まれた出来事であり、心より感謝するばかりである。
(社)JIA(日本建築家協会)25年賞を、当館が受賞した。同賞は以下の趣旨による。
※本賞は、25以上に亘って「長く地域の環境に貢献し、風雪に耐え美しく維持され、社会に対して建築の意義を語りかけながら、過去の遺産に終わらずに、我々と同世代を生き続けてきた建築物」を表彰し、あわせて「その建築を美しく育て上げることに寄与した人々(建築家、施工者、建築主及び維持管理に携わった者)」を顕彰。多様化する価値基準の中で、建築が果たす役割をあらためて確認するとともに、文化としての建築のあり様、同時に次世代についながる建築物のあり方を、社会・市民に提示することを目的とする。
建築史に新たに刻まれた出来事であり、心より感謝するばかりである。
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