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渋沢記念館は、日本資本主義の父といわれる渋沢栄一の資料を保存している機関である。渋沢家は藍玉の製造販売をした豪農の出身で、栄一は以外にも賀 川の関わった「友愛会」に資金援助をしていた。社会事業家としての栄一は、聖路加国際病院と映画「筆子その愛」の舞台である滝乃川学園の初代理事長であっ た。賀川は滝乃川学園創設者石井亮一から、障碍者教育の影響を受けていると考えられている。この学園のアーキビストも、今カフェに出席してくれていた。渋 沢栄一は1926と1927にはノーベル平和賞候補になっている。賀川と渋沢、偉人はどこか共通点が多い。ちなみに「死線を越えて」の主人公は新見「栄 一」である。
大原社研はもともと大阪にて、倉紡の大原孫三郎が設立したものだが、1937年から東京に移転した。キリスト者の孫三郎は岡山孤児院の石井十次の協 力者であった。賀川は石井十次と神戸で会っており、宮崎県茶臼原での十次の記念式では、山室軍平と共に写真を撮っている。先の渋沢栄一は大原孫三郎の設立 した大阪愛染園を引き継いでいるが、大原はここに救済事業研究室を付設しており、これが大原社研の前身となった。大原社研にも賀川の資料は多数あり、あり がたいことにカフェの際に資料を頂いた。
国際資料研究所の方は東大大学院で教鞭もとっておられ、日本におけるアーカイブズ学界の草分け的存在の常々尊敬していたご婦人である。なんと15年前には賀川純基氏を当館まで訪ねて下さっており、またこの方の夫の叔父君が、代田教会の牧師であったとのことでなんとも間接的な関係があることがわかった。
以上、初見の人々ながらも、旧知の間柄のような錯覚に陥った。それは互いの自己存在を越えた歴史的つながりが、アーカイブズを通してあるからなのだろうか。
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