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賀川豊彦記念 松沢資料館の学芸員による雑記帳です。仕事上の出来語や、最新のイベント情報などを掲載します。 (主観的な情報も含まれますので、館としての公式見解でないものであることをあらかじめご了承下さい。)
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001_05_00075.jpg左の写真は、1935(昭和10)年に賀川豊彦が、アメリカへ渡った際の賀川の写真である。アメリカ基督教連盟の招きで米国復興運動、協同組合運動指導と、ヨーロッパの国民保険制度の視察のために横浜から秩父丸で渡米した。中山昌樹も一緒であった。
12月5日に乗船、同月19日、サンフランシスコに到着するも、眼病のため上陸を許可されなかった。はるばる太平洋を越えて行ったのにもかかわらず、三日間彼はエンゼル島というところに収容されていた。雲の柱身辺雑記によれば、移民局が条件をつけたとのことである。それは、看護婦をつけること、保証金500ドルをつむこと、個人の宅に絶対に止まらないこと、これらである。この写真は、まさにそのエンゼル島で撮影されたものである。

賀川によれば、ここには病院があり、そこに収容されていた。サンフランシスコ市長の公式歓迎会とロサンゼルスでも午餐会が用意されていた。きっと気持ちは焦ったに違いない。あきらめて日本に帰ることも覚悟していたようだ。まさにそんな雰囲気が、にじみでた写真ではないだろうか。

これらの式典のために、その後「特別上陸」が許可されたことは周知である。これには、ルーズベルト大統領が大統領令でとった措置として、後々保守派の勢力から批判されることになるが、賀川の文によれば、米国の教会挙げての歓迎なので、前例のない仮出所(ママ)とのことである。収容所には、教会関係者のみならず、消費組合関係者もお見舞いに来てくれたとある。

賀川によれば、
「政治的問題が有っただろうとのことで、私だけの眼を調べることになり、いつもの如く落第したのです【…】」

とあり、どうも賀川の上陸を阻止する勢力からの横やりで、眼の病気をあげつらって、抑留されていたようにも読めるのである。実際、この特例措置で、なんで賀川だけそんなことが許されるのだ?と米国市民側からやり玉に挙げられたようだが、それも政治闘争の具として利用されたもので、保守派の人々は賀川を社会主義者(マルクス主義、アカ)という疑いを持っていたので、賀川を支持したり寛容なそぶりを見せる人々はゆるせず、ルーズベルト他らに相当詰め寄ったようである。特に南部のとある牧師(殺人罪で起訴されたが正当防衛で無罪となった経緯のある人物と賀川は報じている)などは、執拗に賀川への攻撃を仕掛け、このことは賀川自身が書き残している。つまり賀川は、一方では大歓迎でも、反対派らは「賀川反対集会」を開催するほど、米国内を騒然とさせる、いわば嵐を呼ぶ男だったのだ!

なんにせよ、こういった政治的な騒動が起きたということは、それだけ1935(昭和10)年頃のアメリカでの賀川の知名度が相当高かったことの証左なのではないだろうか。はたして現在の日本で上陸するだけで物議を醸す人物がいるのやら…



この年、どうして、賀川がアメリカに呼ばれたのかの経緯は、火の柱に掲載されている。それによれば、「社会的神学」の著者、ラウシェンブッシュ講座の招聘が主となっていた。そして、社会学の講義をしろといわれて、賀川は四年間、時期が来るのを待っていたのである。そして、翌年1936年の4月に、これが実現して、そこでの講演でかの”Brotherhood Economics”が世にお目見えすることとなる。

そして、もうひとつ賀川を動かした理由は、「死線を越えて」の米国訳をした、ミネソタ大学英文科教授(賀川はきれいな英語と絶賛しているほどの学者であり、なるほど訳者の力量がノーベル文学賞候補につながったという説もうなずける)、グレーン・クラーク氏の側近で、マク―ンという人が、日本での神の国運動こそが、すべての社会運動の根源だ、それには賀川を引っ張ってこい!ということになって、賀川が呼ばれたのであった。

マクーン氏は、15000人の失業者を救うため、1500人単位のギルドを作って助け合いを実現させた精神的指導者であった。

その他シカゴ大学教授、ニューヨーク教会合同連盟、全米宣教師連盟、学生大会からぞくぞく講演依頼が入り、極めつけは、中央政府から、協同組合組織の指導を依頼されるに至った。有名な「ニューディール政策」への協力である。もちろんこれらの流れに抗う勢力がいたのは、有に想像できる。それゆえ、賀川のエンゼル島収容は最初の試練であり、またその後に起こる様々な戦いを予感させる事態だったのではないだろうか。

001_05_00214.jpg最後にお見せする写真は上陸許可がおり、エンゼル島からサンフランシスコに向かう船上の写真である。試練のあとに笑顔がこぼれている、まるで恐れを知らぬかのように…
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プロフィール
HN:
賀川資料館 学芸員 杉浦秀典
年齢:
53
性別:
男性
誕生日:
1964/10/06
職業:
博物館学芸員
趣味:
資料整理、バイク
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