忍者ブログ
賀川豊彦記念 松沢資料館の学芸員による雑記帳です。仕事上の出来語や、最新のイベント情報などを掲載します。(個人的な見解であり、資料館としての公式な見解ではありません。)
[181]  [180]  [179]  [178]  [177]  [176]  [175]  [174]  [173]  [172]  [171
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「下座奉仕」 (部分)上段の落款に注目
掛け軸の件では、新資料発見とまで名打って頂いたが、実はすぐにこの資料は公にしなかった。それは、この掛け軸が、これまでの賀川の字体と大きく違っていることが、実は今回の新資料をすぐに公表しなかった主な理由である。しかしながら、地道な調査の結果、当時の賀川は大正12年初頭から、眼病によって目が極端に見えなくなってしまっていたことが、身辺雑記などに散見されている。よって、よっぽどたどたどしく丁寧に書いたか、妻ハルに代筆をお願いしたか、とにかく尋常でない状態での筆記であることは推定された。

また、掛け軸の署名の後の落款が、所蔵している他の掛け軸のものと一致していることがある。上の写真は、収蔵している「下座奉仕」と書かれた、揮毫である。賀川の座右の銘ともいえる言葉である。人の手の届かないところを、お手伝いさせていただくことである。尻拭いといういい方もあるが、ようは相手に仕えることである。この掛け軸の落款が、話題の掛け軸のものと同一なのである。これはかなり根拠としては大きい。

そしてなんといっても詩の内容は、賀川でなければとても詠えない内容であることなどをかんがみて、最終的に賀川のものと判断したのである。

280.JPG左は今回発表した資料の落款










簡単に経緯を述べれば、今年2月にアーカイブズ業界の仲間が集う、「アーキビストカフェ」を当館を会場に開催した際、その時ご参加下さった、国会図書館の方が、メールでこの掛け軸が古書店に並べられていることを後日お知らせ下さった。

その後、賀川豊彦記念・資料館連絡協議会参加の館へ報告(5館連絡協議会では、新資料発見の際には、情報を共有することが会則にある)、お知らせして購入しないかとお勧めしたが、内容が関東大震災の頃のものであれば、東京の館が持つのがふさわしいとなり、結果当館が購入したのである。あとは冒頭述べた、鑑定の時間を要したのであるが、震災復興を願って、ミニ特別展「賀川豊彦と関東大震災」を開催するにあたり、あえて出品して話題を産もうとしたところ、幸い、共同通信の記者が目を留めて下さったので、大々的な公表となったのである。

予想だにしなかった結果となり感謝である。
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
フリーエリア
最新コメント
[05/17 Backlinks]
[02/28 雑芸員]
[02/27 荻田(長尾)香世子]
[08/31 N. F]
[11/19 雑芸員]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
賀川資料館 学芸員 杉浦秀典
年齢:
59
性別:
男性
誕生日:
1964/10/06
職業:
博物館学芸員
趣味:
資料整理、バイク
バーコード
ブログ内検索
Copyright © 賀川資料館 学芸員のひとりごと All Rights Reserved.
Designed by 10p
Powered by Ninja Blog

忍者ブログ [PR]