賀川豊彦記念 松沢資料館の学芸員による雑記帳です。仕事上の出来語や、最新のイベント情報などを掲載します。(個人的な見解であり、資料館としての公式な見解ではありません。)
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上記資料は、以前調査中であることを知らせた、賀川純一が元老院書記官に任じられて、わずか半年足らずで免官されたことが掲載された、太政官記録内の職務進退 元老院記録の複写である。
一枚目の資料は、勝安芳(安房)の記録である。もうおわかりと思うが、勝海舟である。勝の役人としての、任免が記録されている。明治5年には、海軍大輔、同年叙従四位に昇叙した記録が二枚目に記されている。まちがいなく、勝海舟の記録である。
不勉強なので、恥ずかしいが、勝の名の横には、静岡県士族とあるが、徳川家に仕えたことから、このように表記されるのだろうか。また文政二年巳卯正月生とあるが、他の文献などをみると、勝の生年は、文政6年1月30日(1823.3.12)というのがどうも正しいようなのである。公文書でもまちがいがあるということなのであろうか?ある文献では、自ら陽暦誕生日を2月11日としていたそうだが、換算を間違えたらしいとのことである…
その勝のことに関する記述が終わった次のページ(三枚目)には、賀川純一が出てくるのである。純一が、名東県平民(ママ)とされ、嘉永二年丙12月生まれとある。明治八年七月一二日に、権少書記官に任命され、同年一二月七日に免本官となっているので、わずか五か月の任期である。なにかあったのだろうが、それらについては、すでに多くの方が書いておられるので、小生は触れない。資料の紹介だけにとどめておく。御関心のある方は、下記まで。(複写は当館でも見られます)
資料出典:国立公文書館
[請求番号] 本館-
勝海舟のことは誰でも知っているであろうし、最近もNHKの龍馬伝で、武田鉄也氏が演じたことで話題を呼んでいる。しかし彼のことが、キリスト教界でも、別な面で話題にされていることは、一般にはあまり知られていないかもしれない。
勝はオランダの詩編歌『主をほめよ』を自由訳したり、また、以下のようなエピソードがあって、キリスト教との関係性が深い。
勝は、エドワード・ウォーレン・クラークという米国人御雇教師を静岡学校へ招聘した。クラークは、静岡バンドで功績をあげ、後に東京開成学校(東京大学の前身の一つ)の教師となり、化学を教えていたが、帰米後には牧師になった。勝が後に、『幕府始末』(全集11 勁草書房)を書くきっかけになったのは、このクラーク教師が幕府興亡の由来を尋ねたことに、端を発したそうである。
後にクラークは、勝のことを、『(勝は)キリスト者ではなかったが、彼以上に貧しきナザレ人(イエス)の人格を備えた人物を見たことがない』と、誉めていたとのことである。
また勝の住居、東京赤坂氷川町5番は、耶蘇教講義所(キリスト教伝道所)として解放していたとのことである。そこが、現在の日本キリスト教団赤坂教会敷地なのである。今後関係する書籍が刊行されると関係者より聞いている、楽しみである。
そして、勝は自分の子の嫁に、ホイットニーの妹クララを迎えた。兄である医師ウイリス・ホイットニーの妻アンナの信仰に感銘してとのことだが、このクララの日記は、当時の日本の歴史的な人物たちが、外国人少女の目を通して書かれた貴重な資料となっている。残念ながら、後に離縁してクララは帰米している。
実は、ホイットニー兄妹の父は、商法伝習所の所長として招聘された御雇教師であったが、実際には所長にはなれず、経済的に困窮していたときに、勝が上記の赤坂の邸宅にホイットニー家を住まわせ、援助したことが縁の始まりであったそうだ。なるほど、勝の度量の大きさがうかがわれる話である。
作家江藤淳は、「海舟の精神構造とキリスト教との関係は、今後の重要な課題になるに違いない」と残しているとのことである…
(参考:『日本キリスト教大辞典』、ウィキペディアほか)
勝はオランダの詩編歌『主をほめよ』を自由訳したり、また、以下のようなエピソードがあって、キリスト教との関係性が深い。
勝は、エドワード・ウォーレン・クラークという米国人御雇教師を静岡学校へ招聘した。クラークは、静岡バンドで功績をあげ、後に東京開成学校(東京大学の前身の一つ)の教師となり、化学を教えていたが、帰米後には牧師になった。勝が後に、『幕府始末』(全集11 勁草書房)を書くきっかけになったのは、このクラーク教師が幕府興亡の由来を尋ねたことに、端を発したそうである。
後にクラークは、勝のことを、『(勝は)キリスト者ではなかったが、彼以上に貧しきナザレ人(イエス)の人格を備えた人物を見たことがない』と、誉めていたとのことである。
また勝の住居、東京赤坂氷川町5番は、耶蘇教講義所(キリスト教伝道所)として解放していたとのことである。そこが、現在の日本キリスト教団赤坂教会敷地なのである。今後関係する書籍が刊行されると関係者より聞いている、楽しみである。
そして、勝は自分の子の嫁に、ホイットニーの妹クララを迎えた。兄である医師ウイリス・ホイットニーの妻アンナの信仰に感銘してとのことだが、このクララの日記は、当時の日本の歴史的な人物たちが、外国人少女の目を通して書かれた貴重な資料となっている。残念ながら、後に離縁してクララは帰米している。
実は、ホイットニー兄妹の父は、商法伝習所の所長として招聘された御雇教師であったが、実際には所長にはなれず、経済的に困窮していたときに、勝が上記の赤坂の邸宅にホイットニー家を住まわせ、援助したことが縁の始まりであったそうだ。なるほど、勝の度量の大きさがうかがわれる話である。
作家江藤淳は、「海舟の精神構造とキリスト教との関係は、今後の重要な課題になるに違いない」と残しているとのことである…
(参考:『日本キリスト教大辞典』、ウィキペディアほか)
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