賀川豊彦記念 松沢資料館の学芸員による雑記帳です。仕事上の出来語や、最新のイベント情報などを掲載します。(個人的な見解であり、資料館としての公式な見解ではありません。)
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早いもので、もう11月も終盤を迎えている。お読みいただいている皆様には大変感謝であるが、資料館業務の日ごろの姿を見えるようにしたいと発心しながらも、筆者の力量不足で思うように記述が間に合わず歯がゆい思いである。先月から今月にかけての報告未了トピックについて、急ぎでお伝えしよう。しかしながら、時系列の列挙だけであるので、あまり面白くないかもしれないがご参考になればと願う。
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国際連帯税のシンポジウムが、東京税理士会館にて開催された。11/22に専門家会合、11/23にはシンポジムが開かれ、熱い討議が繰り広げられた。筆者も世界連邦関係者よりご案内を受け参集した。
基調講演には、テレビなどでもコメンテータータとしてご活躍の、寺島実郎氏が語られ、世界的な政治の構図や金融資本主義への警鐘が講演され、国際連帯税の必要性へとつなげて頂いた。午後には、各界の識者の方々に、パネリストトとして前に出てご報告およびディスカッションして頂き、官僚の方までご参加のそうそうたる顔ぶれの熱弁をお聞かせ頂いた。
国際連帯税とは、国際金融危機、世界的な貧困、地球環境問題などへの対応する、解決策として昨今注目される新しい「税」のことである。2005年に途上国開発のためにフランスやブラジルなどが中心になって提唱し、航空券連帯税が導入され、その後通貨取引税、炭素税、武器取引税といった提案がされている。日本でも2008年2月に「国際連帯税創設を求める議員連盟」が結成され、日本政府の導入も世界から期待されている。呼びかけ人、賛同団体も多岐にわたり、今後の動向が注目される。詳細は下記URLをご覧いただきたい。
http://blog.goo.ne.jp/global-tax/e/935f599f61c62fec06d23b37aa122d93
基調講演には、テレビなどでもコメンテータータとしてご活躍の、寺島実郎氏が語られ、世界的な政治の構図や金融資本主義への警鐘が講演され、国際連帯税の必要性へとつなげて頂いた。午後には、各界の識者の方々に、パネリストトとして前に出てご報告およびディスカッションして頂き、官僚の方までご参加のそうそうたる顔ぶれの熱弁をお聞かせ頂いた。
国際連帯税とは、国際金融危機、世界的な貧困、地球環境問題などへの対応する、解決策として昨今注目される新しい「税」のことである。2005年に途上国開発のためにフランスやブラジルなどが中心になって提唱し、航空券連帯税が導入され、その後通貨取引税、炭素税、武器取引税といった提案がされている。日本でも2008年2月に「国際連帯税創設を求める議員連盟」が結成され、日本政府の導入も世界から期待されている。呼びかけ人、賛同団体も多岐にわたり、今後の動向が注目される。詳細は下記URLをご覧いただきたい。
http://blog.goo.ne.jp/global-tax/e/935f599f61c62fec06d23b37aa122d93
11/21、二年越しで計画してきた、雲柱社三法人の記念会が行われた。会場は青山学院講堂にて。
当資料館の運営母体である、財団法人が1938年に発足して以来、本年で70年を迎える。当初は財団法人が保育園の福祉事業、幼稚園の学校事業を行っていたのであるが、戦後の法制化によってそれぞれ社会福祉法人雲柱、学校法人雲柱社と分化していった。しかしながら、もともとは賀川豊彦の精神と、財的にも賀川が基金を拠出して立ち上がった法人である。
時代が変わったからもう創業時代とは関係ない、と簡単にいうことはどこの事業体でまずないだろう。たしかに社会情勢は変わり、対応手段は新しくなるかもしれない。しかし常に創業者の理念に立ち返り、根底における考え方を自覚的に体現化することはいつの時代でも大切なことである。70年を経ても色あせない賀川の求めたもの、すなわち、自己犠牲をいとわずに、社会の必要に対して身を投げ出すこと、贖罪愛とか下座奉仕という価値観は、賀川の後継団体であるならば失っていけない精神である。同時にそこから今日の世界を見渡し、自らの立ち位置を確認することも大切である。70周年記念は単なる過去の顕彰ではなく、精神的遺産と事業的遺産を重く受け止め、改めて今日の課題について覚える節目であろう。同時に職員一同の求心力を寄せて一致を持とうとするための会合でもある。
当資料館の運営母体である、財団法人が1938年に発足して以来、本年で70年を迎える。当初は財団法人が保育園の福祉事業、幼稚園の学校事業を行っていたのであるが、戦後の法制化によってそれぞれ社会福祉法人雲柱、学校法人雲柱社と分化していった。しかしながら、もともとは賀川豊彦の精神と、財的にも賀川が基金を拠出して立ち上がった法人である。
時代が変わったからもう創業時代とは関係ない、と簡単にいうことはどこの事業体でまずないだろう。たしかに社会情勢は変わり、対応手段は新しくなるかもしれない。しかし常に創業者の理念に立ち返り、根底における考え方を自覚的に体現化することはいつの時代でも大切なことである。70年を経ても色あせない賀川の求めたもの、すなわち、自己犠牲をいとわずに、社会の必要に対して身を投げ出すこと、贖罪愛とか下座奉仕という価値観は、賀川の後継団体であるならば失っていけない精神である。同時にそこから今日の世界を見渡し、自らの立ち位置を確認することも大切である。70周年記念は単なる過去の顕彰ではなく、精神的遺産と事業的遺産を重く受け止め、改めて今日の課題について覚える節目であろう。同時に職員一同の求心力を寄せて一致を持とうとするための会合でもある。
前回、尾崎行雄記念式のことをお伝えしたが、その式典の内容については触れてなかった。
当日は、夕刻6:00からの開催であったが、30分ほどまえに到着した。最近起きた殺傷事件の影響か常にそうなのかわからないが、物々しい警戒を印象づける国会議事堂を通り過ぎ、すっかり陽の暮れた中でも、煌々と明かりの灯された憲政記念館に到着した。
すでに受付がはじまり、ちょうど車で到着された、世界連邦運動協会会長で、参議院協会会長の植木先生に玄関先でばったり会い、ご挨拶を交わしつつロビーに入る。すると、すでに大物議員が来るせいか、複数の業界用大型カメラの視線を浴びせられる。どうも市井の庶民である自分には、どうふるまっていいのか戸惑うばかりのなか、逃げるように受付を済ませ、会場に入っていった。
会場は約500名ほどの入るところだが、ここでも背後と側壁には、報道関係者のカメラが蠢いている。あまりの多さに圧巻されるが、着席してしばらくした時、なんと来賓席には日野原重明先生が腰しかけられる姿を視界がとらえた。まだ開始までの余裕もあり、来年の献身100年記念事業のキックオフパーティのゲストとして、スピーチをお引き受け頂いている手前、きちんと挨拶をしに行くことにした。加山館長の挨拶に続いて、筆者も名刺を渡して、元の席で着座をする。その後定刻通りに記念会が始まった…
当日は、夕刻6:00からの開催であったが、30分ほどまえに到着した。最近起きた殺傷事件の影響か常にそうなのかわからないが、物々しい警戒を印象づける国会議事堂を通り過ぎ、すっかり陽の暮れた中でも、煌々と明かりの灯された憲政記念館に到着した。
すでに受付がはじまり、ちょうど車で到着された、世界連邦運動協会会長で、参議院協会会長の植木先生に玄関先でばったり会い、ご挨拶を交わしつつロビーに入る。すると、すでに大物議員が来るせいか、複数の業界用大型カメラの視線を浴びせられる。どうも市井の庶民である自分には、どうふるまっていいのか戸惑うばかりのなか、逃げるように受付を済ませ、会場に入っていった。
会場は約500名ほどの入るところだが、ここでも背後と側壁には、報道関係者のカメラが蠢いている。あまりの多さに圧巻されるが、着席してしばらくした時、なんと来賓席には日野原重明先生が腰しかけられる姿を視界がとらえた。まだ開始までの余裕もあり、来年の献身100年記念事業のキックオフパーティのゲストとして、スピーチをお引き受け頂いている手前、きちんと挨拶をしに行くことにした。加山館長の挨拶に続いて、筆者も名刺を渡して、元の席で着座をする。その後定刻通りに記念会が始まった…
11/20、午後6:00より、国会議事堂前にある、憲政記念館において、「尾崎行雄生誕150年記念の集い」に出席してきた。世界連邦関係者へという案内状を受けたのだが、尾崎行雄は世界連邦運動の初代総裁であり、また尾崎行雄財団副理事長の相馬雪香さまには、賀川献身100年記念事業東京プロジェクトの顧問にお入り頂いていたという義理もあって、館長、雑芸員ともにはせ参じた。
相馬さんは、国際MRA日本協会副会長を担われていた。資料館ニュース47号の巻頭言をご寄稿頂いている。残念ながら去る11/8、父行雄氏の生誕150年式典を直前にして急逝されたとのことである。
謹んで、ご関係者の皆様に、哀悼の意を表すばかりである。
MRAは、「軍備の再武装ではなく道義と精神の再武装(Moral and Spiritual Re-Armament)を」との、オックスフォード大学のフランク・ブックマン博士の提唱(1938)から、ロンドンにてMoral Re-Armament(MRA活動)として発足している。日本では1975に土光敏夫氏を会長として日本協会が発足している。過去には、岸信介、福田赳夫、中曽根康弘、ほか政財界有力者がMRA運動に関わりを持ち、尾崎行雄財団との協力関係も長い。
相馬さんは、国際MRA日本協会副会長を担われていた。資料館ニュース47号の巻頭言をご寄稿頂いている。残念ながら去る11/8、父行雄氏の生誕150年式典を直前にして急逝されたとのことである。
謹んで、ご関係者の皆様に、哀悼の意を表すばかりである。
MRAは、「軍備の再武装ではなく道義と精神の再武装(Moral and Spiritual Re-Armament)を」との、オックスフォード大学のフランク・ブックマン博士の提唱(1938)から、ロンドンにてMoral Re-Armament(MRA活動)として発足している。日本では1975に土光敏夫氏を会長として日本協会が発足している。過去には、岸信介、福田赳夫、中曽根康弘、ほか政財界有力者がMRA運動に関わりを持ち、尾崎行雄財団との協力関係も長い。
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