賀川豊彦記念 松沢資料館の学芸員による雑記帳です。仕事上の出来語や、最新のイベント情報などを掲載します。(個人的な見解であり、資料館としての公式な見解ではありません。)
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11/21、二年越しで計画してきた、雲柱社三法人の記念会が行われた。会場は青山学院講堂にて。
当資料館の運営母体である、財団法人が1938年に発足して以来、本年で70年を迎える。当初は財団法人が保育園の福祉事業、幼稚園の学校事業を行っていたのであるが、戦後の法制化によってそれぞれ社会福祉法人雲柱、学校法人雲柱社と分化していった。しかしながら、もともとは賀川豊彦の精神と、財的にも賀川が基金を拠出して立ち上がった法人である。
時代が変わったからもう創業時代とは関係ない、と簡単にいうことはどこの事業体でまずないだろう。たしかに社会情勢は変わり、対応手段は新しくなるかもしれない。しかし常に創業者の理念に立ち返り、根底における考え方を自覚的に体現化することはいつの時代でも大切なことである。70年を経ても色あせない賀川の求めたもの、すなわち、自己犠牲をいとわずに、社会の必要に対して身を投げ出すこと、贖罪愛とか下座奉仕という価値観は、賀川の後継団体であるならば失っていけない精神である。同時にそこから今日の世界を見渡し、自らの立ち位置を確認することも大切である。70周年記念は単なる過去の顕彰ではなく、精神的遺産と事業的遺産を重く受け止め、改めて今日の課題について覚える節目であろう。同時に職員一同の求心力を寄せて一致を持とうとするための会合でもある。
当資料館の運営母体である、財団法人が1938年に発足して以来、本年で70年を迎える。当初は財団法人が保育園の福祉事業、幼稚園の学校事業を行っていたのであるが、戦後の法制化によってそれぞれ社会福祉法人雲柱、学校法人雲柱社と分化していった。しかしながら、もともとは賀川豊彦の精神と、財的にも賀川が基金を拠出して立ち上がった法人である。
時代が変わったからもう創業時代とは関係ない、と簡単にいうことはどこの事業体でまずないだろう。たしかに社会情勢は変わり、対応手段は新しくなるかもしれない。しかし常に創業者の理念に立ち返り、根底における考え方を自覚的に体現化することはいつの時代でも大切なことである。70年を経ても色あせない賀川の求めたもの、すなわち、自己犠牲をいとわずに、社会の必要に対して身を投げ出すこと、贖罪愛とか下座奉仕という価値観は、賀川の後継団体であるならば失っていけない精神である。同時にそこから今日の世界を見渡し、自らの立ち位置を確認することも大切である。70周年記念は単なる過去の顕彰ではなく、精神的遺産と事業的遺産を重く受け止め、改めて今日の課題について覚える節目であろう。同時に職員一同の求心力を寄せて一致を持とうとするための会合でもある。
記念会の内容は以下である。最初に礼拝から始まった。長年お隣の松沢教会の牧師を勤められてきた、石川和夫先生より説教を賜り、次に福祉の大家であられる、阿部志郎先生より祝辞を頂いた。大変励まされる内容で、お二人の先生には心よりお礼申し上げる次第である。
そ の後、70周年を記念したDVDを制作したので、これを上映した。賀川豊彦の紹介と雲柱社の歴史および現在に至る紹介を、各法人ごとに並べたものである。制作者(映画『筆子その愛』を担当した映像制作業者)との綿密な行程を経て完成した作品だけあって、上映終了後は拍手が鳴っていた。スタッフとして企画から関わった筆者としても感無量の瞬間…であるはずだが、そんなことに浸る間も許されず、照明のオンオフから音響の調整に奔走しそれどころではない。青学講堂は、ホールとしては演劇などの上演可能な本格的な設備であるため、スポットライトの調整卓、音響ミキサー卓が、舞台両袖の地上3階相当の高さにそれぞれ別な小部屋を設けて置いてある。だからたまったものではない。司会者が「ただいまより上映を始めます~」との挨拶が始まるや、スポットライトを落とす(またはオン)ため、一目散に機材室目指してまわり階段を子ネズミのように小走りに昇り降り、今度は反対側目指して、息を殺し身をかがめてソロリソロリと演壇前下を抜け、舞台下手側の設備室に、またも階段を一目散に昇り降り…まったく人員不足のため、息せききっての裏方であるが、これもまた雑芸員ならではかな…。
その後、雲柱社としての精神を皆で確認するため、「雲柱社憲章」が制定され、職員全員で読み上げた。これは記念すべき出来事である。雲柱社の兄貴格である関係団体イエス団においてはすでに制定されているが、ようやく雲柱社にも出来た。最後に三法人理事長謝辞が各法人より述べられて終了したのだが、すでに予定時刻を30分もすぎており、片付け後に青学を出たのはすでに10時に近かった。一大イベントを終え、安堵の念に茫然としていたところ、ねぎらいのために青短教員兼学校法人雲柱社理事長である今関教授が帰りがけにうどんを馳走して下さった。晩秋の冷え込む渋谷の夜には、涙が出るほど温かかった…。
尚、当日は上 映は出来なかったが、同じDVD内に三法人の理事長のそれぞれインタビューが収録されている。貴重なメッセージの記録であるので是非ご覧頂きたい。ほかにも特典映像として、賀川豊彦立体年表、賀川資料館紹介ビデオク リップなども収録されている。ちなみにこのDVDは非売品であり、当日参加者には各自一本づつお持ち帰り頂いた。もちろんご観覧希望者には、資料館にてご覧頂けるようにしてある。ご所望の方は、お問い合わせ頂きたい。
そ の後、70周年を記念したDVDを制作したので、これを上映した。賀川豊彦の紹介と雲柱社の歴史および現在に至る紹介を、各法人ごとに並べたものである。制作者(映画『筆子その愛』を担当した映像制作業者)との綿密な行程を経て完成した作品だけあって、上映終了後は拍手が鳴っていた。スタッフとして企画から関わった筆者としても感無量の瞬間…であるはずだが、そんなことに浸る間も許されず、照明のオンオフから音響の調整に奔走しそれどころではない。青学講堂は、ホールとしては演劇などの上演可能な本格的な設備であるため、スポットライトの調整卓、音響ミキサー卓が、舞台両袖の地上3階相当の高さにそれぞれ別な小部屋を設けて置いてある。だからたまったものではない。司会者が「ただいまより上映を始めます~」との挨拶が始まるや、スポットライトを落とす(またはオン)ため、一目散に機材室目指してまわり階段を子ネズミのように小走りに昇り降り、今度は反対側目指して、息を殺し身をかがめてソロリソロリと演壇前下を抜け、舞台下手側の設備室に、またも階段を一目散に昇り降り…まったく人員不足のため、息せききっての裏方であるが、これもまた雑芸員ならではかな…。
その後、雲柱社としての精神を皆で確認するため、「雲柱社憲章」が制定され、職員全員で読み上げた。これは記念すべき出来事である。雲柱社の兄貴格である関係団体イエス団においてはすでに制定されているが、ようやく雲柱社にも出来た。最後に三法人理事長謝辞が各法人より述べられて終了したのだが、すでに予定時刻を30分もすぎており、片付け後に青学を出たのはすでに10時に近かった。一大イベントを終え、安堵の念に茫然としていたところ、ねぎらいのために青短教員兼学校法人雲柱社理事長である今関教授が帰りがけにうどんを馳走して下さった。晩秋の冷え込む渋谷の夜には、涙が出るほど温かかった…。
尚、当日は上 映は出来なかったが、同じDVD内に三法人の理事長のそれぞれインタビューが収録されている。貴重なメッセージの記録であるので是非ご覧頂きたい。ほかにも特典映像として、賀川豊彦立体年表、賀川資料館紹介ビデオク リップなども収録されている。ちなみにこのDVDは非売品であり、当日参加者には各自一本づつお持ち帰り頂いた。もちろんご観覧希望者には、資料館にてご覧頂けるようにしてある。ご所望の方は、お問い合わせ頂きたい。
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