賀川豊彦記念 松沢資料館の学芸員による雑記帳です。仕事上の出来語や、最新のイベント情報などを掲載します。(個人的な見解であり、資料館としての公式な見解ではありません。)
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蒲郡に行ってきた。7/9-10日と、三遠プロジェクトが主催した、上映講演会のお手伝いに行ったのだが、上映時間までの合間に、賀川豊彦ゆかりの地を見聞してきた。写真は、「海辺の文学館」という蒲郡博物館の分館であるが、地元にゆかりのある文人として、賀川豊彦が紹介されている。以前、松沢から写真を提供させて頂いた。海辺の風光明美なところにたたずんでいる風情ある建物である。
青年賀川が日記『暇の蒲郡』を綴り、『死線を越えて』の前半を書いた地である。数年前に、ご存命中の純基氏が来蒲して、賀川の住んでいた場所を探り出したことが、館内に張り出してあった。親切な館員の方のご説明で、この賀川の若き日の療養地は、すぐ近くなのだと聞き、型落ちのニコン片手に急ぎそちらへ行ってみる。写真のピンクの看板のところの路地を入ったところだそうだ。
なにがあるものかと、胸を躍らせながら、路地に忍び込む。閑静な旧家がならぶ風情に思わずシャッターに力が入る。しかし、碑文でもあるものかと思ったが、何もない。奥まで行き、またもどり、勇気を出して、路地の草取りをしている年配の女性に尋ねてみることに。しかし、期待した答えはなかった。「賀川豊彦」という名や、ちかくに有名な人物が住んでいたことはないか、など尋ねるもまったく首をひねるばかり。致し方なく、数枚のシャッターを下し、名残り惜しくも、離れることに。上映機材の搬入の時間が迫っていたからだ。(つづく)
青年賀川が日記『暇の蒲郡』を綴り、『死線を越えて』の前半を書いた地である。数年前に、ご存命中の純基氏が来蒲して、賀川の住んでいた場所を探り出したことが、館内に張り出してあった。親切な館員の方のご説明で、この賀川の若き日の療養地は、すぐ近くなのだと聞き、型落ちのニコン片手に急ぎそちらへ行ってみる。写真のピンクの看板のところの路地を入ったところだそうだ。
なにがあるものかと、胸を躍らせながら、路地に忍び込む。閑静な旧家がならぶ風情に思わずシャッターに力が入る。しかし、碑文でもあるものかと思ったが、何もない。奥まで行き、またもどり、勇気を出して、路地の草取りをしている年配の女性に尋ねてみることに。しかし、期待した答えはなかった。「賀川豊彦」という名や、ちかくに有名な人物が住んでいたことはないか、など尋ねるもまったく首をひねるばかり。致し方なく、数枚のシャッターを下し、名残り惜しくも、離れることに。上映機材の搬入の時間が迫っていたからだ。(つづく)
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