賀川豊彦記念 松沢資料館の学芸員による雑記帳です。仕事上の出来語や、最新のイベント情報などを掲載します。(個人的な見解であり、資料館としての公式な見解ではありません。)
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蒲郡での賀川の足跡を、前回述べたが、若き日の転地療養のためには、気候、風土ともに絶好の場所という印象を受けた。その、賀川が住んでいた漁村近くに、八百富神社という社が、海岸に向かって立っている。その社の正面には、青島に向かっての橋がかかっているのだが、この神社正面右側には、なんと写真のように、世界連邦都市宣言の記念碑が建っていたのである。(犬も歩けば棒に当たるとはこのこと…!)
湯川秀樹博士の筆による揮毫を石に彫ったものであるが、ご存知のように世界連邦運動への賀川の貢献は大きい。蒲郡は、まさに賀川ゆかりの地というにふさわしいという印象である。関心のある方同士で、ツアーを組まれたらよろしいかもしれない。
(ななめ横からのショット)
(八百富神社から海へ向かった風景)
(海辺の文学館内にある賀川のパネル)
海辺の文学館のパネル下に貼ってある情報紙。賀川純基氏と地元の研究家によって、賀川の蒲郡逗留時の事が紹介されており、大変勉強になった。賀川がお世話になったのは、小笠原増次郎さんという船乗りさんだったそうである。蒲郡新聞にも掲載されたそうだが、その記事によれば、賀川の住んだ庵は竹島町6番10号境氏宅と西隣の安藤宅との間にある、道路沿い東側であったと書いてある。
湯川秀樹博士の筆による揮毫を石に彫ったものであるが、ご存知のように世界連邦運動への賀川の貢献は大きい。蒲郡は、まさに賀川ゆかりの地というにふさわしいという印象である。関心のある方同士で、ツアーを組まれたらよろしいかもしれない。
(ななめ横からのショット)
(八百富神社から海へ向かった風景)
(海辺の文学館内にある賀川のパネル)
海辺の文学館のパネル下に貼ってある情報紙。賀川純基氏と地元の研究家によって、賀川の蒲郡逗留時の事が紹介されており、大変勉強になった。賀川がお世話になったのは、小笠原増次郎さんという船乗りさんだったそうである。蒲郡新聞にも掲載されたそうだが、その記事によれば、賀川の住んだ庵は竹島町6番10号境氏宅と西隣の安藤宅との間にある、道路沿い東側であったと書いてある。
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