賀川豊彦記念 松沢資料館の学芸員による雑記帳です。仕事上の出来語や、最新のイベント情報などを掲載します。(個人的な見解であり、資料館としての公式な見解ではありません。)
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「友愛会バッジ」(表)
万国の労働者団結せよ
カール・マルクス
(肖像画)
上の写真は、友愛会のバッジである。資料館の常設展に展示してある。ご存じのように、賀川豊彦は、米国より帰国した後、精力的に労働組合運動を行ったが、その大正10年の労働争議の後、労働組合運動の表舞台から身を引いたと考えられている。さて、その大正10年7月の大労働争議の直後ともいえる8月に、写真のような記念バッジが作成されていたのだ。よく見てみると、友愛会、関西労働総同盟のバッジに、「カール・マルクス」の肖像画がレリーフされているのである。
学芸員の仕事(キュラトリアルワークス)の一環として、このバッジの表記をラフであるが書き写した。大正時代であり、表記はヘブライ語のように右から左に読むようになっている(申し訳ない、面倒なので私の打ったテキストは通常通りである)。
「 友愛会バッジ」(裏)
記念
大正十年八月
神戸労働争議
友愛会
日本労働惣総同盟
神戸聯合会
今週月曜日に、東京都労働者福祉協議会の総会の際に、光栄にも私が記念講演会に登壇することになり、その席で、このバッジのことに少しだけ触れたので、皆様にもお伝えしようと考えた。
敗北に終わった大労働争議の後に、あえて「記念」として発行されたのは、なにを意図していたのだろうか。しかも友愛会の名前でマルクスの肖像画を入れて発行していたのはどういうわけなのだろうか?当時の思想的な未分化さをあらわすのか?もっと深い政治的な意図が隠れているのか?あってはならない、単なる間違いか?… いつか詳しく調べてみたい。(もちろんすでに詳しい方がおられたら、手っ取り早くお教え頂ければ幸いである!)
今週月曜日に、東京都労働者福祉協議会の総会の際に、光栄にも私が記念講演会に登壇することになり、その席で、このバッジのことに少しだけ触れたので、皆様にもお伝えしようと考えた。
敗北に終わった大労働争議の後に、あえて「記念」として発行されたのは、なにを意図していたのだろうか。しかも友愛会の名前でマルクスの肖像画を入れて発行していたのはどういうわけなのだろうか?当時の思想的な未分化さをあらわすのか?もっと深い政治的な意図が隠れているのか?あってはならない、単なる間違いか?… いつか詳しく調べてみたい。(もちろんすでに詳しい方がおられたら、手っ取り早くお教え頂ければ幸いである!)
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