賀川豊彦記念 松沢資料館の学芸員による雑記帳です。仕事上の出来語や、最新のイベント情報などを掲載します。(個人的な見解であり、資料館としての公式な見解ではありません。)
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先日、かねてよりお世話になっている、渋沢栄一史料館の井上館長さんを表敬訪問させて頂いた。暮れに、アーキビスト・カフェの年末懇親の席で、訪問の意向をお伝えしたのだが、快くお迎えくださった。
当日は一緒に、世界連邦21世紀フォーラムの代表と同じく理事の方も来て下さった。21世紀フォーラムの代表は、11月の賀川シンポジウムでご活躍頂いた木戸寛孝氏で、同氏は明治維新の元勲の家系であり、ご先祖様が渋沢栄一と時代的に重なるせいか、会話は様々な盛り上がりを見せた。
また、もう一人の理事は、job web という企業を経営している佐藤考治氏である。地元王子ご出身で、ご実家の地下に劇場を作り、それ以来今や王子は演劇の街となっている。いわば火付け役の人物である。16日にはPHP新書から出版も予定されている。 http://koji.jobweb.jp/ ぜひお買い求め頂ければと願う。
渋沢栄一翁についてはあまり深く人物研究しては来なかったが、史料館を訪ねてあらためて驚きが多かった。日本の資本主義の基礎を形成した人物としては知っていたが、ただの立身出世した実業家というレベルの人物ではなかった。僭越ながら、利益だけを求める企業をではなく、『道徳と経済の合一』といった、思想と実践を貫徹した、まれにみる大人物としかいいようがない。
若き日には、高崎城のっとりまで計画した、攘夷、倒幕の志士だったようだが、投獄の憂き目から一転、一橋家に仕官し、その後明治期にはヨーロッパ視察後に、株式会社を学んできていた。
賀川が協同組合と社会事業の発展を広範囲に展開したように、渋沢翁は、社会事業と企業を世に発展させた功労者である。ある面、社会事業の発展のために、各種の会社を起こしたとも見られなくはないとのことである。
その懐の広さは測りがたく、キリスト者ではないが、聖路加病院の理事長やYMCAの理事をつとめ、また同志社の設立の際には、資金集めにも協力した。一橋家につかえたことから、商業のための大学作りとして、一橋大学を建て、また女子教育の必要から、日本女子大学の設立に寄与した。数え上げたらきりがないが、何といっても、創設した第一銀行から現在はみずほグループがその系譜であり、王子製紙、日本郵船、東京ガス、商工会議所、帝国ホテル、日本鋼管、札幌麦酒…その数500以上と聞く(列挙しきれなく申しわけないです)。
財閥という特定の集団が富を独占することを嫌いながらも、そうそうたる持続可能な企業をデザイン、創設した。かれの視座は、近代のみならず、現代の市民社会の確立にまで射程をもっていたかのような、破竹の産業興隆とそれに平行して社会事業整備を推進した。かれもまた人間、文化、文明、もろもろの社会のあるべき姿を構想した、グランドデザイナーの一人である。
話上、「なぜいま『坂の上の雲』なのか。日清、日露ではなく、むしろ渋沢栄一をクローズアップする時代ではないか?」 などのところで意気投合した。
明治期の日本には、驚くべき人物が傑出している。混迷する現代、いまこそ学ぶべき人物であろう(もちろん賀川豊彦もだが)
御関心のある方は、ぜひごご訪問頂きたい!
HPはこちら http://www.shibusawa.or.jp/
当日は一緒に、世界連邦21世紀フォーラムの代表と同じく理事の方も来て下さった。21世紀フォーラムの代表は、11月の賀川シンポジウムでご活躍頂いた木戸寛孝氏で、同氏は明治維新の元勲の家系であり、ご先祖様が渋沢栄一と時代的に重なるせいか、会話は様々な盛り上がりを見せた。
また、もう一人の理事は、job web という企業を経営している佐藤考治氏である。地元王子ご出身で、ご実家の地下に劇場を作り、それ以来今や王子は演劇の街となっている。いわば火付け役の人物である。16日にはPHP新書から出版も予定されている。 http://koji.jobweb.jp/ ぜひお買い求め頂ければと願う。
渋沢栄一翁についてはあまり深く人物研究しては来なかったが、史料館を訪ねてあらためて驚きが多かった。日本の資本主義の基礎を形成した人物としては知っていたが、ただの立身出世した実業家というレベルの人物ではなかった。僭越ながら、利益だけを求める企業をではなく、『道徳と経済の合一』といった、思想と実践を貫徹した、まれにみる大人物としかいいようがない。
若き日には、高崎城のっとりまで計画した、攘夷、倒幕の志士だったようだが、投獄の憂き目から一転、一橋家に仕官し、その後明治期にはヨーロッパ視察後に、株式会社を学んできていた。
賀川が協同組合と社会事業の発展を広範囲に展開したように、渋沢翁は、社会事業と企業を世に発展させた功労者である。ある面、社会事業の発展のために、各種の会社を起こしたとも見られなくはないとのことである。
その懐の広さは測りがたく、キリスト者ではないが、聖路加病院の理事長やYMCAの理事をつとめ、また同志社の設立の際には、資金集めにも協力した。一橋家につかえたことから、商業のための大学作りとして、一橋大学を建て、また女子教育の必要から、日本女子大学の設立に寄与した。数え上げたらきりがないが、何といっても、創設した第一銀行から現在はみずほグループがその系譜であり、王子製紙、日本郵船、東京ガス、商工会議所、帝国ホテル、日本鋼管、札幌麦酒…その数500以上と聞く(列挙しきれなく申しわけないです)。
財閥という特定の集団が富を独占することを嫌いながらも、そうそうたる持続可能な企業をデザイン、創設した。かれの視座は、近代のみならず、現代の市民社会の確立にまで射程をもっていたかのような、破竹の産業興隆とそれに平行して社会事業整備を推進した。かれもまた人間、文化、文明、もろもろの社会のあるべき姿を構想した、グランドデザイナーの一人である。
話上、「なぜいま『坂の上の雲』なのか。日清、日露ではなく、むしろ渋沢栄一をクローズアップする時代ではないか?」 などのところで意気投合した。
明治期の日本には、驚くべき人物が傑出している。混迷する現代、いまこそ学ぶべき人物であろう(もちろん賀川豊彦もだが)
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