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すこし離れて撮影したのが次の写真である。病院へ向かう人々を、まるで温かく迎えるかのように、通路の側を向いている。夜はこわいが、歩いているとまるで、横から声掛けられているかのようだ…。
中には『誰この人?』と関心を向けてくれる方がいればうれしいのだが。
このように滑り台のある、子どもさんの遊ぶ一般的な公園である。
この滑り台の右奥に目を細めると、賀川胸像が見える。背景のトタンに色が同化してしまって見にくいが。
裏面には、中野総合病院の前身である東京医療利用購買組合設立における、苦節の歴史が刻まれている。柵が囲んでいて、像の周辺には入りにくくなっており、ちょっと頑張らなければ見られない。撮影したのは夏だったので、虫が多かった。
背中には、1967と刻まれている。
お近くをお通りの際は、ぜひご覧になって頂きたい。
いまはまだ構想中であるが、東京でも賀川豊彦ゆかりの地に関するガイド書や、マップなどを作って、休日に散歩がてら学べるようにしたい。来年は関西からの団体様がツアーで、当館をご見学予定である。ゆかりの地巡りのショート・トリップのコースも考えてみたい。
ex)
1. 都内コース:上北沢(松沢資料館)―中野(中野総合病院)―本所(本所賀川記念館)―渋谷(日本生協連ビル)―白銀(明治学院) ―レストラン
2. 遠隔および近郊地コース:前泊(東山荘)―御殿場(高根学園)―茅ヶ崎(平和学園)―町田(桜美林大)―横浜(共立女子神学校・関東大震災時上陸地)―レストラン
以上
この一年は、ありがたいことに各地で賀川関係イベントが開催され、雑芸員も各地にお招き頂いた。
簡単ではあるが、振り返って活動紹介をしておこう。
東京プロジェクト広報委員会は、総出で各地での講演会等にご活躍頂いているのだが、来年記念事業の活動報告書に、すべてを記録できたらと考えている。まずは雑芸員の備忘録として載せておくが、他の方の方がもっとたくさん各地で講演をしている。いったい全員を合わせた総数は何回になるのだろうか…
1. 5月30日 東京災害ボランティアネットワークという団体で、賀川を紹介させて頂いた。
http://www.tosaibo.net/event/20090530.pdf
http://www.tosaibo.net/times/times20090701.pdf
2. 7月11 東京都生活協同組合連合会・コープ災害ボランティアネットワーク幹事会にてお話させて頂いた。
http://www.coop-toren.or.jp/LinkClick.aspx?fileticket=IR8gzS27dFY%3D&tabid=113&mid=550
3. 9月25日 東大YMCAで開催された、東京YMCAの午餐会で卓話をさせて頂いた。
http://www.tvac.or.jp/di/16523.html
http://tokyo.ymca.or.jp/events/gosankai_0925.pdf
4. 11月27日には、神奈川県生協連の2009年度の役職員研修会でお話しさせて頂いた。
http://www.kanaken.or.jp/news/2009/091203.html
5. 12月2日には、栃木県協同組合交流会(JA、生活協同組合、森林組合、宇都宮大学教員他御参加)にて、賀川豊彦を講演させて頂いた。
6. 12月7日、東京労働者福祉協議会の定期総会で、記念講演として賀川をお話させて頂いた。
7. 12月9日 世界連邦21世紀フォーラムで、世界連邦運動に関わった賀川を紹介させて頂いた。
8. 12月16日 鳥取県にて賀川のお話をさせて頂く予定。
※尚、東京都生協連合会のHPには、賀川献身事業のサイトがあるのでご紹介しておこう。
http://www.coop-toren.or.jp/index/kagawa/tabid/180/Default.aspx
このほかに、各地で展示活動その他を行っており、実に出かけることは多かったが、感謝の一年であった。
http://d.hatena.ne.jp/kagawa100/20091203/1259807927
また、一般向けの公開ではないが、立教女学院中高でも、生徒さん向けに賀川展を開催してくださった。
地域の人向けの行事の際には、一部公開するとのことである。どんどん若い世代にも、賀川を知ってもらいたい。
家の光協会さんには、『乳と蜜のながるる郷』、『劇画 死線を越えて』と、たてつづけに、関係書籍を刊行して頂いている。そして、劇画の刊行に合わせて、1Fのロビーにあるガラスケースに、賀川豊彦の特別展示をして頂いた。松沢資料館からもいくつか資料を貸し出しさせて頂いた。
来年3月まで開催されているとのことである。1Fロビーはオープンスペースなので、誰でもはいれるとのことである。最寄り駅は、飯田橋。
家の光協会までのアクセスは下記まで。
http://www.ienohikari.net/kyoukai/map.html
なお、上記展示に関する打ち合わせにお邪魔した際に、劇画を書きおろされた、藤生ゴオ先生とお会いした。以前、『劇画 蟹工船』を上梓され、これがきっかけになって、「蟹工ブーム」が起きたといわれている。藤生先生は、人間性豊かな、とても気さくな先生であり、好感とともに尊敬の念を抱いたものである。ぜひ、お買い求め頂きたい一冊である。
上の写真は、友愛会のバッジである。資料館の常設展に展示してある。ご存じのように、賀川豊彦は、米国より帰国した後、精力的に労働組合運動を行ったが、その大正10年の労働争議の後、労働組合運動の表舞台から身を引いたと考えられている。さて、その大正10年7月の大労働争議の直後ともいえる8月に、写真のような記念バッジが作成されていたのだ。よく見てみると、友愛会、関西労働総同盟のバッジに、「カール・マルクス」の肖像画がレリーフされているのである。
学芸員の仕事(キュラトリアルワークス)の一環として、このバッジの表記をラフであるが書き写した。大正時代であり、表記はヘブライ語のように右から左に読むようになっている(申し訳ない、面倒なので私の打ったテキストは通常通りである)。
今週月曜日に、東京都労働者福祉協議会の総会の際に、光栄にも私が記念講演会に登壇することになり、その席で、このバッジのことに少しだけ触れたので、皆様にもお伝えしようと考えた。
敗北に終わった大労働争議の後に、あえて「記念」として発行されたのは、なにを意図していたのだろうか。しかも友愛会の名前でマルクスの肖像画を入れて発行していたのはどういうわけなのだろうか?当時の思想的な未分化さをあらわすのか?もっと深い政治的な意図が隠れているのか?あってはならない、単なる間違いか?… いつか詳しく調べてみたい。(もちろんすでに詳しい方がおられたら、手っ取り早くお教え頂ければ幸いである!)
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