賀川豊彦記念 松沢資料館の学芸員による雑記帳です。仕事上の出来語や、最新のイベント情報などを掲載します。(個人的な見解であり、資料館としての公式な見解ではありません。)
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カール=ハインツ・シェル氏のハイデルベルグ大学博士論文を翻訳した「賀川豊彦-その社会的・政治的活動」が、刊行された。ドイツ語圏の知識人から見た、「賀川豊彦」の評伝である。是非、お買い求め頂きたい。ご購入は、教文館ブックフェアまで!
尚、表紙の写真はこれまであまり知られていないものであろう。今年春に、当館所蔵の写真資料を一斉にデジタル化したのであるが、その成果として、このような写真もあたことをお知らせしたい。ほかにもお宝写真がいっぱいあるので、順次紹介してゆけたらと思っている。
尚、表紙の写真はこれまであまり知られていないものであろう。今年春に、当館所蔵の写真資料を一斉にデジタル化したのであるが、その成果として、このような写真もあたことをお知らせしたい。ほかにもお宝写真がいっぱいあるので、順次紹介してゆけたらと思っている。
ハイデルベルグ大学といえば、学生時代に一度だけ訪れたことがある。フランクフルトの経済大学のドイツ人大学生の家に、日本の友人のお伴で転がり込んで、一週間ほど無賃ステイ(食事付き)させて頂いた。ザクセンハウゼンという酒場通りで、毎晩のように赤ら顔している妙な東洋人であった。その際ワーゲンでアウトバーンを飛ばして訪れたのだが、それは1990年二月、ベルリンの壁が崩れて(1989・11・9)間もなくであった。
その後、発車時刻が正確なドイツ国営鉄道に揺られベルリンに。狭いコンパートメントは寄せ集めの旅行者の不思議な出会いの場であった。日付けを越え迎えられたベルリンは、東ベルリンに入るにはチェックポイント・チャーリーを通過して日帰りで5マルクを両替し使い切らねばならない時代であった。通りには品数さびしい百貨店があったが、それでも人々の顔が明るかったのは、壁の存在が意味を失ったからであろうか。あるいはドイツ語がわからない自分がお幸せなだけだったのかもしれないが…
その後、ロマ人(かつてはジプシーと蔑称された)の間に混じって、私もそこいらにいる地元少年らから借りたノミで、壁の破片を採取した。誰も器物損壊を問う者はいなかった。調子に乗り壊し過ぎ、ほとんどは持ち帰れなかった。
西ベルリンのミュージアム群はつぶさに見学した。無意識にも将来の職業に結び付くような好奇を、それまで訪れた西欧州各地の大ミュージアムが展示する歴史的英知の結集体に向けていた。視覚に納めた個々のオブジェクトに、自然な憧れを持ちつつも同時に、何者でもない無名の自分のあまりの小さささから、嫉妬のような気分も漏れ出していた。しかし複雑な危うい心理に揺らぎつつも平静さを装えたのは、「聖」性にも近い、静寂空間の「祈り」のような演出に呑み込まれたからであろう。いつのまにか私は、ミュージアムのディシプリンに従属させられていた。
ある人は、ミュージアムは近代期以後の神なき時代の神殿という。なるほどそういう意味では、教会とは宗教的次元の構造において通ずるものが潜在化にはあるのかもしれない。私の現職への端緒は、きっとそのころ味わった、先の静寂かつ広大な空間での「聖」なる印象と、壮大な演出を工夫した「展示」という舞台装置に出会った原経験からだろう。しかしそこから生まれた羨望は新時代の”祭司”たる者、すなわち”Curator"に対しての憧れだったのであって、雑芸…
同時期(1990年ごろ)シェル先生は、筑波大にいらしたようである。本書をまだ全部は読んでいないが、いつか劇的な歴史変化を経験したドイツのお立場から、さまざまな賀川のお話を(日本語で)お聞きしたいと感じた次第である。
その後、発車時刻が正確なドイツ国営鉄道に揺られベルリンに。狭いコンパートメントは寄せ集めの旅行者の不思議な出会いの場であった。日付けを越え迎えられたベルリンは、東ベルリンに入るにはチェックポイント・チャーリーを通過して日帰りで5マルクを両替し使い切らねばならない時代であった。通りには品数さびしい百貨店があったが、それでも人々の顔が明るかったのは、壁の存在が意味を失ったからであろうか。あるいはドイツ語がわからない自分がお幸せなだけだったのかもしれないが…
その後、ロマ人(かつてはジプシーと蔑称された)の間に混じって、私もそこいらにいる地元少年らから借りたノミで、壁の破片を採取した。誰も器物損壊を問う者はいなかった。調子に乗り壊し過ぎ、ほとんどは持ち帰れなかった。
西ベルリンのミュージアム群はつぶさに見学した。無意識にも将来の職業に結び付くような好奇を、それまで訪れた西欧州各地の大ミュージアムが展示する歴史的英知の結集体に向けていた。視覚に納めた個々のオブジェクトに、自然な憧れを持ちつつも同時に、何者でもない無名の自分のあまりの小さささから、嫉妬のような気分も漏れ出していた。しかし複雑な危うい心理に揺らぎつつも平静さを装えたのは、「聖」性にも近い、静寂空間の「祈り」のような演出に呑み込まれたからであろう。いつのまにか私は、ミュージアムのディシプリンに従属させられていた。
ある人は、ミュージアムは近代期以後の神なき時代の神殿という。なるほどそういう意味では、教会とは宗教的次元の構造において通ずるものが潜在化にはあるのかもしれない。私の現職への端緒は、きっとそのころ味わった、先の静寂かつ広大な空間での「聖」なる印象と、壮大な演出を工夫した「展示」という舞台装置に出会った原経験からだろう。しかしそこから生まれた羨望は新時代の”祭司”たる者、すなわち”Curator"に対しての憧れだったのであって、雑芸…
同時期(1990年ごろ)シェル先生は、筑波大にいらしたようである。本書をまだ全部は読んでいないが、いつか劇的な歴史変化を経験したドイツのお立場から、さまざまな賀川のお話を(日本語で)お聞きしたいと感じた次第である。
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