賀川豊彦記念 松沢資料館の学芸員による雑記帳です。仕事上の出来語や、最新のイベント情報などを掲載します。(個人的な見解であり、資料館としての公式な見解ではありません。)
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夏休みも明けて9月の抜ける青空を期待していた矢先に、大きな災害がまたも起きてしまい、被災地に皆さまへは、心よりお見舞い申し上げるばかりであります。一日も早い復旧に向けた取り組みが、被災地になされますようお祈り申し上げます。
なんとも災害の多い年である。いまだ東日本大震災とそれに伴う原発事故からの復旧も滞っているなか、今度は台風の被害が引き起こされてしまった。大量の降雨による土砂災害であるが、またも人間の無力感をなんとも覚えてしまう。
前回賀川豊彦の関東大震災の際の、復興への決意を書いた掛け軸が全国へ報道されたことをお伝えした。賀川は関東大震災の東京での支援活動で大変な活躍をしたのは確かであるが、それだけでなく、昭和2年の奥丹後地震の際に救護へ行っている。
また昭和9年9月の関西風水害でも救援活動を行った。昭和13年の神戸水害へも救援へ向かい、昭和15年の静岡大火罹災者のための精神復興講演会を行っている。鳥取大地震の起きた昭和18年9月にも救援を行い、自然災害ではないが戦時下には、戦時救済委員会委員長となり戦災者の救護をつとめた。賀川の被災者支援は、生涯続けられていったのである。
自然災害そのものへの無力感はしかたない面があるかもしれない。しかし、発生後の対応は人間に可能なものである。いや、そのような時こそ、人間らしさが問われる時なのかもしれない。賀川のあくなき取り組みの軌跡には、今日の私達へ訴えるメッセージがあるのではないだろうか…
なんとも災害の多い年である。いまだ東日本大震災とそれに伴う原発事故からの復旧も滞っているなか、今度は台風の被害が引き起こされてしまった。大量の降雨による土砂災害であるが、またも人間の無力感をなんとも覚えてしまう。
前回賀川豊彦の関東大震災の際の、復興への決意を書いた掛け軸が全国へ報道されたことをお伝えした。賀川は関東大震災の東京での支援活動で大変な活躍をしたのは確かであるが、それだけでなく、昭和2年の奥丹後地震の際に救護へ行っている。
また昭和9年9月の関西風水害でも救援活動を行った。昭和13年の神戸水害へも救援へ向かい、昭和15年の静岡大火罹災者のための精神復興講演会を行っている。鳥取大地震の起きた昭和18年9月にも救援を行い、自然災害ではないが戦時下には、戦時救済委員会委員長となり戦災者の救護をつとめた。賀川の被災者支援は、生涯続けられていったのである。
自然災害そのものへの無力感はしかたない面があるかもしれない。しかし、発生後の対応は人間に可能なものである。いや、そのような時こそ、人間らしさが問われる時なのかもしれない。賀川のあくなき取り組みの軌跡には、今日の私達へ訴えるメッセージがあるのではないだろうか…
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