賀川豊彦記念 松沢資料館の学芸員による雑記帳です。仕事上の出来語や、最新のイベント情報などを掲載します。(個人的な見解であり、資料館としての公式な見解ではありません。)
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最近拙稿が二誌に掲載されたので、ご紹介だけしておきたい。一冊は、東京市政調査会発行の「都市問題」誌である。東京市政調査会は、日比谷公園内市政会館内にある。大正11年、当時東京市長であった後藤新平伯爵によって創設された。国政に関する、大調査機関を模索していた後藤は、ニューヨークにあった市政調査会をモデルにして、東京市政調査会を提案したとのことである。詳細は以下 → http://www.timr.or.jp/
掲載後のお礼を、同会理事長より頂いたが、奇しくも同会理事長は東大セツルメントに所属していたとのことであり、賀川豊彦をよくご存知であった。また同号の編集長のコラムでも、拙稿をもとに賀川を取り上げて頂いた。まことに恐縮かつ感謝であった。
もう一冊は、東京都生協連合会にある、財団法人地域生活研究所発行の『まちと暮らし研究』誌である。同財団は、元財団法人消費生活研究所という名称であったが、この6月に改称したとのことである。
詳細は以下まで ↓
http://www.chiikiseikatsu.org/kksngiyu.html
権威ある両誌にご掲載頂けたことには、身に余る光栄と覚え、まことに恐悦至極の思いである。
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5月に千葉大公共哲学センター主催のシンポジウムの際に、シンポジストとしてお立ち下さった、稲垣久和先生(東京基督教大学教授)の書評記事が、やはりクリスチャン新聞に掲載された。古屋安雄先生の『なぜ日本にキリスト教が広まらないか』という書籍を紹介し、書中に「賀川豊彦」が取り上げられていることをご紹介下さっておられる。
5月に千葉大公共哲学センター主催のシンポジウムの際に、シンポジストとしてお立ち下さった、稲垣久和先生(東京基督教大学教授)の書評記事が、やはりクリスチャン新聞に掲載された。古屋安雄先生の『なぜ日本にキリスト教が広まらないか』という書籍を紹介し、書中に「賀川豊彦」が取り上げられていることをご紹介下さっておられる。
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8月16日のクリスチャン新聞にて、賀川豊彦の『友愛の政治経済学』の書評が掲載された。
これは、同紙の編集者より、是非取り扱いたいとの要望を受けていたのだが、掲載されたことの周知がほとんどなかたったようなので、あらためてご紹介したい。
8月16日のクリスチャン新聞にて、賀川豊彦の『友愛の政治経済学』の書評が掲載された。
これは、同紙の編集者より、是非取り扱いたいとの要望を受けていたのだが、掲載されたことの周知がほとんどなかたったようなので、あらためてご紹介したい。
7/9-10と三河方面へ言ってきたことは、すでに報告した。それは、当地で開催される、賀川献身記念三遠プロジェクト主催の集会で、上映会の奉仕をするためであった。
岡崎と蒲郡で開催されるのだが、東京から東名高速道で300キロ近くはある。前日の夕方には機材を車載し、夜とも朝ともきめがたいような丑三つ時過ぎに駐車場へ。生あたたかい風が頬をなめると、再び眠気に引き戻される。気合を入れなんとか車を滑りださせるも、最初のパーキングの海老名で力尽き二度寝。後、ようやく白みかけてきたころには、家でゆっくり寝てればよかったと後悔しつつも再出発した。
ついてみると、両日とも一般の会場を貸りながらも、まずまずの盛況で、スタッフの方々もそれぞれの持ち場を嬉々とした雰囲気で励んでおられた。
音楽とともに講師からのメッセージに感動の連続であり、遠方まできたことの報酬を頂いた気がしたひと時であった。
蒲郡での賀川の足跡を、前回述べたが、若き日の転地療養のためには、気候、風土ともに絶好の場所という印象を受けた。その、賀川が住んでいた漁村近くに、八百富神社という社が、海岸に向かって立っている。その社の正面には、青島に向かっての橋がかかっているのだが、この神社正面右側には、なんと写真のように、世界連邦都市宣言の記念碑が建っていたのである。(犬も歩けば棒に当たるとはこのこと…!)
湯川秀樹博士の筆による揮毫を石に彫ったものであるが、ご存知のように世界連邦運動への賀川の貢献は大きい。蒲郡は、まさに賀川ゆかりの地というにふさわしいという印象である。関心のある方同士で、ツアーを組まれたらよろしいかもしれない。
(ななめ横からのショット)
(八百富神社から海へ向かった風景)
(海辺の文学館内にある賀川のパネル)
海辺の文学館のパネル下に貼ってある情報紙。賀川純基氏と地元の研究家によって、賀川の蒲郡逗留時の事が紹介されており、大変勉強になった。賀川がお世話になったのは、小笠原増次郎さんという船乗りさんだったそうである。蒲郡新聞にも掲載されたそうだが、その記事によれば、賀川の住んだ庵は竹島町6番10号境氏宅と西隣の安藤宅との間にある、道路沿い東側であったと書いてある。
湯川秀樹博士の筆による揮毫を石に彫ったものであるが、ご存知のように世界連邦運動への賀川の貢献は大きい。蒲郡は、まさに賀川ゆかりの地というにふさわしいという印象である。関心のある方同士で、ツアーを組まれたらよろしいかもしれない。
(ななめ横からのショット)
(八百富神社から海へ向かった風景)
(海辺の文学館内にある賀川のパネル)
海辺の文学館のパネル下に貼ってある情報紙。賀川純基氏と地元の研究家によって、賀川の蒲郡逗留時の事が紹介されており、大変勉強になった。賀川がお世話になったのは、小笠原増次郎さんという船乗りさんだったそうである。蒲郡新聞にも掲載されたそうだが、その記事によれば、賀川の住んだ庵は竹島町6番10号境氏宅と西隣の安藤宅との間にある、道路沿い東側であったと書いてある。
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