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尚、これらに関する一連の資料的な紹介は、次号の『賀川豊彦研究』(本所賀川記念館刊)に拙稿の資料紹介にて掲載予定である。
それでは、以下、ご精読あれ。
『夢の対米交渉 半生の記』 賀川豊彦
「貧民くつ生活十四年八カ月、ゴロツキに脅迫せられ前歯をおられ、ピストルでおどされ、殺人犯の前科者に追い回された経験から労働運動、農民運動、協同組合の組織運動に移ったので、今でも、唯物的な暴力運動で社会がよくなろうとは全然考えていない。そういう人々は、ドン底生活を知らない人々の言うことであって、社会構成の要因を知らぬ人が勝手な理由をつけているのだと私は痛感している。
<読売新聞 昭和28年11月9日 掲載>
前回、黒田四郎氏の『私の賀川豊彦研究』という書籍に触れたが、その中の冒頭には、以下の近代日中関係史における重要な記述が残されているのでご紹介したい。
しかしながら、この文面を裏付ける別な資料を、現在は見出してはいないので、どなたかお教え頂けないだろうか。特に中国側の資料があれば、大変ありがたいのであるが、中国側の研究者のご協力があっても、かなり難しいことが予想される…
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【…】 若き日の平和論 「愛の祈りは世界を動かす」
最近私は所々でサインを求められる場合、賀川先生の言葉を時々書かせて貰っている。その中
に「愛の祈りは世界を動かす」という言葉がある。
私は一九三九 (昭14)年十二月十二、三日頃、中国の首都南京の隅で、茫然自失、ノイローゼ
気味で悶えていた。その時私は日本のキリスト教界から代表者として送られて来て、南京に着い
たばかりであった。それより二年前の一九三七 (昭12)年十二月、日華事変で日本軍は南京を占
領し、入城後数日にして恐ろしい南京事変が勃発した。日本軍のある部隊によって三十五万の中国
市民が虐殺され、三万五千の中国女性がおかされたのである。
それ以来二年たったのだが、一、二日南京の焼けただれた跡や中国の人たちの貧乏極まる姿を
見て、私は心ひしがれ、どうしていいか分からなくなったのである。
ちょうどその時、重慶から蒋介石総統の夫人宋美齢女史の言葉が放送された。「日本人は憎い、
日本軍の暴虐はどうしても許せない」というのである。ほんとうにそうだと私は更に心をしめつ
けられた。ところが驚いたことに、続けて「しかし、私はどうしても神様に日本を滅ぼして日本人を
皆殺しにして下さいとは祈れない!」という言葉が伝わって来た。驚いて信じられぬと思っていると、
「なぜなら日本には、今日も日本と中国との中国人とのために熱涙を流して祈っている、
ドクター・カガワがいるからである」というのである。
その時私は宋美齢女史の言葉に励まされて、元気を出してやっと立ち上がることができた。そ
れから大卒後の一九四五(昭20)年、私どもはとうとう完全に敗北して、死の恐怖に包まれてい
た。すると今度は蒋介石総統の言葉が放送された。「仇に報ゆるに仇をもってせず、中国全土の
日本人を一人残らず安全に本国へ送り返せ。これに背く者は厳罰に処する」という、それこそ驚くべき
布告であった。
しかしそれは夢ではなく、完全に敗北した私どもは、大部分が安全に故国に帰ることができた
のである。実に賀川先生の存在が、何百万もの日本人を救う貴い働きをなし遂げたのである。今
や賀川先生召天後二十三年を経てしまったが、先生の言葉「愛の祈りは世界を動かす」が、一つ
の観念や理論ではなく、世界史的な現実において実証された生ける真理であることに心を打たれ
るのである。 【…】 (黒田四郎著『私の賀川豊彦研究』pp10-11 キリスト新聞社 1984 )
この最後のところに、賀川自身が、世話になったのはアメリカ人宣教師だが、学んだのは長尾巻であると語り、しかも神戸のスラムへ身を投じたのは、長尾巻に学んだからであると書かれている。
もちろん、メソジストの創設者ジョン・ウエスレーや、『南アフリカ伝道探検旅行日誌』の伝道者・デビッド・リビングストンの影響を黒田四郎氏は伝えているが、賀川自身の口から、スラム入りは「長尾巻」から学んだ(1番感化を受けたとまで!)と語っていることは、賀川の原点を研究する際には大変重要なことであろう。
黒田四郎氏によれば、賀川は、伝道の精神をリビングストンから、そして伝道の方法をウェスレーから学んでいたと述べている(『私の賀川豊彦研究』キリスト新聞社1984年)。小生は、このあたりのことには興味が尽きないのだが、まずはご覧あれ。
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『長 尾 巻 に 学 ぶ』 賀 川 豊 彦
昨秋、毎年開催の賀川豊彦記念講座委員会の講師としてお出で頂いた、渋澤健さまより、新年のご挨拶とニュースレターを頂戴した。とても素晴らしい内容なので、皆さまと分かちあいたい。お察しの通り、渋澤健氏は、かの有名な渋沢栄一(歴史上の人物なので、敬称略)のご子孫である。
面白い内容が中にあるので、ご紹介したい。それは、渋沢翁は、資本主義の父といわれながらも、実は資本主義ではなく、「合本主義」という立場であったというのである。「資」一つに帰するのの対して、「合」は二つ以上のものによると言っておられる。非常に重要なポイントだと思うので、是非じっくりご覧頂きたい。
渋沢記念財団では、今年の研究テーマとして、「合本主義」について研究されるとのことである。成果が楽しみであるが、なにか協同組合的なものも感じるところである…
尚、転載の許可については、ご本人様より頂戴している。
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新年おめでとうございます。
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