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前回、黒田四郎氏の『私の賀川豊彦研究』という書籍に触れたが、その中の冒頭には、以下の近代日中関係史における重要な記述が残されているのでご紹介したい。
しかしながら、この文面を裏付ける別な資料を、現在は見出してはいないので、どなたかお教え頂けないだろうか。特に中国側の資料があれば、大変ありがたいのであるが、中国側の研究者のご協力があっても、かなり難しいことが予想される…
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【…】 若き日の平和論 「愛の祈りは世界を動かす」
最近私は所々でサインを求められる場合、賀川先生の言葉を時々書かせて貰っている。その中
に「愛の祈りは世界を動かす」という言葉がある。
私は一九三九 (昭14)年十二月十二、三日頃、中国の首都南京の隅で、茫然自失、ノイローゼ
気味で悶えていた。その時私は日本のキリスト教界から代表者として送られて来て、南京に着い
たばかりであった。それより二年前の一九三七 (昭12)年十二月、日華事変で日本軍は南京を占
領し、入城後数日にして恐ろしい南京事変が勃発した。日本軍のある部隊によって三十五万の中国
市民が虐殺され、三万五千の中国女性がおかされたのである。
それ以来二年たったのだが、一、二日南京の焼けただれた跡や中国の人たちの貧乏極まる姿を
見て、私は心ひしがれ、どうしていいか分からなくなったのである。
ちょうどその時、重慶から蒋介石総統の夫人宋美齢女史の言葉が放送された。「日本人は憎い、
日本軍の暴虐はどうしても許せない」というのである。ほんとうにそうだと私は更に心をしめつ
けられた。ところが驚いたことに、続けて「しかし、私はどうしても神様に日本を滅ぼして日本人を
皆殺しにして下さいとは祈れない!」という言葉が伝わって来た。驚いて信じられぬと思っていると、
「なぜなら日本には、今日も日本と中国との中国人とのために熱涙を流して祈っている、
ドクター・カガワがいるからである」というのである。
その時私は宋美齢女史の言葉に励まされて、元気を出してやっと立ち上がることができた。そ
れから大卒後の一九四五(昭20)年、私どもはとうとう完全に敗北して、死の恐怖に包まれてい
た。すると今度は蒋介石総統の言葉が放送された。「仇に報ゆるに仇をもってせず、中国全土の
日本人を一人残らず安全に本国へ送り返せ。これに背く者は厳罰に処する」という、それこそ驚くべき
布告であった。
しかしそれは夢ではなく、完全に敗北した私どもは、大部分が安全に故国に帰ることができた
のである。実に賀川先生の存在が、何百万もの日本人を救う貴い働きをなし遂げたのである。今
や賀川先生召天後二十三年を経てしまったが、先生の言葉「愛の祈りは世界を動かす」が、一つ
の観念や理論ではなく、世界史的な現実において実証された生ける真理であることに心を打たれ
るのである。 【…】 (黒田四郎著『私の賀川豊彦研究』pp10-11 キリスト新聞社 1984 )
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