忍者ブログ
賀川豊彦記念 松沢資料館の学芸員による雑記帳です。仕事上の出来語や、最新のイベント情報などを掲載します。(個人的な見解であり、資料館としての公式な見解ではありません。)
[19]  [20]  [21]  [22]  [23]  [24]  [25]  [26]  [27]  [28]  [29
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ロスアンゼルスの羅府新報(現地日本語新聞)に水城ジョン先生が記事を寄せられたと、ロス在住で昨年『死線を越えて』上映会のお世話をして下がったかたより情報が届いた。リアルタイムで賀川豊彦に触れた方の貴重な証言である。以下転載させて頂きたい。

『羅府新報』2月4日付(第31.548号) 
南加キリスト教教会連合 
フリーメソジスト引退牧師 水城ジョン

「愛の人」

 昨年は、賀川豊彦先生が神戸新川のスラムに入ってちょうど100年であって、それを記念した映画も作られ、方々で上映された。わたしはそれを見て、賀川先生が1953年ブラジル伝道に行かれた時、通訳をするため、3カ月あまり、旅を一緒にさせていただいた時のことを思い起こし懐かしかった。貧しい人々の友となって、スラムの中で15年間伝道と奉仕に身を投じて労された先生の愛はどこからきたのだろうか。
 先生が講演の中でよく話されたことは、「わたしは青年時代、自分は猿の進化したものだと思っていたが、結核を患って喀血していた頃、ローガン宜教師が、夫人がアメリカに帰っておられた期間、私を抱いて寝て下さった。その時、私は降参してイエス・キリストを信じた」と。その後、サーカスで働いていた一青年が、寝る所がないと言ってローガン先生の所に来た。ローガン先生は彼に、「何日でも、何カ月でも、何年でも私の処で寝なさい」と言われた。それを聞いた青年は大声を上げて泣いた。それを見ていた賀川先生は、大いに感動し、自分もローガン先生のような愛の人になりたいと思われた。
 また、ロンドンのスラムに入って、貧しい人たちのため愛の奉仕をしたアーノルド・トインビ(歴史家アーノルド・トインビの叔父)の伝記を読んで、新川のスラムに入る決心をしたと話しておられた。賀川先生が愛の人であることは読んだり聞いたりして知っていたが、先生と旅をしながらその事実をわたしは自分の目で見た。ひとつは、レストランで食事をしてウエイターにチップをやる場合、ブラジルでは10パーセントが普通であるが、先生は20パーセントも30パーセントもやっておられた。また、ポーターにも同じようにして、 「この人たちの貸金は安いから私はそうするのだ」と言っておられた。このように細かい所にまで心を配って同情を示す敏感さをもっておられた。
 これを見てわかることは、愛の人とは人に愛された人であり、人間は愛されて、初めて人を愛する事が出来るのである。愛されたことのない人は、人を愛する事は出来ない。愛の本源である神(神は愛なりと使徒ヨハネは言った)に愛されたローガン先生は賀川先生を愛し、ローガン先生に愛された賀川先生は新川のスラムの貧しい人々を愛されたのである。賀川先生はまさしく愛の人であった。私は先生を心から尊敬している。
(フリーメソジスト引退牧師)
PR
先日、フランス大使館の旧庁舎が取り壊しになるのを機に、壊す前に一般開放して現代美術の展覧会場になることを聞き足を運んだ。『ノーマンズランド』、誰も所有者がいない地という表題だ。

実は、世界連邦の推進している国際連帯税の会合に、フランス大使館員の方が来訪されて、今後のフランス本国の方針他、懇談をさせて頂いたのだが、(その懇談内容はさておき)最後に同氏から、現庁舎を壊すに当たって美術展を開催しているので、是非どうぞとパンフレットを置いてゆかれた。
それならばと、数日後、仕事が終わってから訪ねてみた。金、土はなんと夜10時まであいているのだ。夜の展示がまた趣向をこらしていてみごとであった。

連日の仕事に疲労を覚えての広尾までの訪問であったが、駅から歩いて数分、ゲートをくぐるとそこは別世界であった。展示場へ入るやいなや、疲れなどなんのその。各種オブジェクトが自らの体内にが溶け込んでゆくかのごとき錯覚を覚えつつ狭い廊下を進む。大使の部屋から、館員の部屋まで個個の部屋、どれもにくぎ付けになる。
世界連邦21世紀フォーラムが開催され、今回は、ヒューマン・ライツ・ウォッチ、アジア局東京ディレクターの土井香苗氏がご登壇された.小生も微力ながらも名を連ねている、「国連認定NGO・世界連邦運動」の支部、:世界連邦21世紀フォーラム」の理事も担われている。すでにその活動はマスコミにも数回取り上げられ、ご存知の方も多いかと思う。美しき才媛ともいうべき方であるが、小生はその講演内容にひきつけられた。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、本部をニューヨークに置くNGOで、世界80ケ国をカバーしている。正規職員が280名、その他の職員を含めると400名とのこと。年間収入は41億円相当ある。しかし政府系資金は全く受けず、個人や私立財団から支援を受けている。これは独立性を確保するためである。そしてスタッフの半数が法曹関係者とのことで、主に弁護士や安全保障の専門家が多い(土井氏も東大在学中、学部3年生でなんと司法試験に合格したとのこと!)。国連人権賞や他団体と共にノーベル平和章を受けた権威ある団体である。
本日はいつもお世話になっている、賀川家のご親戚の方がこられて、いろいろお話をさせて頂いた。この方のご関心は、戦後、憲法の草案に関して、誰がこの平和憲法を起案したのか?ということであった。もちろん様々な説があり、一つにはマッカサーだといい、片や幣原喜重郎だとする説もある。まだ決着はついていないそうだ。

そのなかでも、小塩完治の記述による、世界連邦建設同盟東京大会での幣原の祝辞において、重要な言説が述べられているのだというのである。

世界連邦が形成された当初、初代総裁は憲政の父、尾崎行雄である。(ちなみに尾崎行雄はキリスト者であった。現在、記念財団が憲政記念館を運営しているが、そちらでは「咢堂塾」など大変優れた企画を多数開催している。時間が取れれば小性も学びに行きたいほどだ。http://www.ozakiyukio.or.jp/)

また副総裁は、協同組合の父、賀川豊彦である。名誉顧問として、幣原喜重郎、田中耕太郎などが名を連ねていたのである…
世田谷区にある、世田谷パブリックシアターのご関係者の方が、先週団体様で見学に来られた。これは、賀川の開いたお隣松沢教会の教会員として長くご活躍された、岡チトセ(故人)さんというかたの生きざまを、地域に関係した人物を取り上げた演劇作品化(「地域の物語ワークショップ」)するとのことであった。そのために現在、制作のための資料や証言などを集めておられるとのことである。

岡さんなる方は、先駆的なキャリアウーマンであり、官僚として勤務しながらも、教会員の御家族へ英語を教えたり、地域への奉仕などをいろいろされていたようである。それゆえ、いま残された御自宅は、地域のコミュニティのために開放されているようである。賀川豊彦に影響を受け、そして地域の人々に愛された一人の人間である。作品化が待ち遠しい。

(ご参考までに下記をご覧下さい)

http://www.city.setagaya.tokyo.jp/040/d00008349.html
カレンダー
12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新コメント
[05/17 Backlinks]
[02/28 雑芸員]
[02/27 荻田(長尾)香世子]
[08/31 N. F]
[11/19 雑芸員]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
賀川資料館 学芸員 杉浦秀典
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/10/06
職業:
博物館学芸員
趣味:
資料整理、バイク
バーコード
ブログ内検索
Copyright © 賀川資料館 学芸員のひとりごと All Rights Reserved.
Designed by 10p
Powered by Ninja Blog

忍者ブログ [PR]